142. 私たちは正しいことをしているか
私たちは正しいことをしているか
2023年4月25日
私たちが自分自身の欲望に屈することなく、主に仕えることができるように助けてください。聖霊様の火が私たちの中で活き活きと燃えるように恵みを与えてください。アーメン。
「主よ、私はぐったりしているようです、火が燃え上がればいいのですが、かろうじてやっていますが、このような姿は良くありません。 情熱を持って主を愛したいのですが、このような情熱は主だけが与えられます。私はどうしたらいいですか?。」
「クレア、忍耐力を持ってほしい。あなたの苦労のおかげで、恵みがとても多く流れているのだから、引き続き私を愛し、仕えてほしい。たとえあなたが枯れていると感じても、あなたはまだ私のために内面で燃えている。そうでなければ、私はこうは言わないだろう。私はどんな人にもお世辞を言わない。私は叱ることはあるが、お世辞を言うことはない。問題は、あなたが私の言葉を受け入れられるかどうかである。」
「主よ、あなたが私にその言葉を言われた時、私の弱い小さな心が生き返りました。 それで私は微笑みました。感動しました。」
「私の言葉はお世辞ではなく、真摯な観察の結果だから、あなたが感動したのだ。最近では、多くのことがあなたに犠牲として要求されている。そこから出た多くの恵みが、私の愛を発見する必要があり、恵みを切実に必要としている他の人々に流れている。これは私の花嫁たち全員に言える真実である。感情で捧げられる大きな犠牲の捧げ物の時期である。私は、あなたがたに当たり前に与えられるべきものを受け取り、恵みに変えて他の人に与え、彼らの重荷を持ち上げ、新しい人生と新しい出発をすることができるように、恵みを流している。このすべてが、あなたたちから捧げられた捧げ物を通して、恵みを切実に必要としている他の人々に与えられるのだ。この犠牲に同意するか? 霊的に困窮している人々のために慰めをあきらめる意思があるか? 私はあなたたちの心を知っているから、他の人々に与えるために、あなたたちからこのような捧げ物を受け取っているのだ。」
「あなたがたの何人かは、私とのつながりを感じないので、自分が本当に実を結んでいるのかどうか疑問を抱くことがある。それは嘘である。あなたがたは、必要な時に、必要な場所で、私とよくつながっている。しかし、私は、私についてあまりにも飢えていて、混乱している他の人々に恵みを与えるために、あなたたちから捧げ物を取っているの だ。」
「主よ、あなたは正しいです、私たちは、私たちが経験している多くの挑戦と試練のために、この共同体を持つことが正しいことなのかどうか疑問に思っていました。私たちは自分自身に問いかけました。私たちは実を結んでいるのか、霊的に成長しているのか、主を喜ばせているのか?。」
「愛する者たちよ、常に改善の余地があるとはいえ、真実にあなたがたに言うが、あなたがたは私を喜ばせていて、あなたがたはそれぞれのペースで成長している。しかし、私は、他の魂が私を見つけ、生き続けることができるように、あなたがたのものを他の魂に流していることを覚えておいてほしい。教会は今、危険にさらされている。一見正しく、善そうに見えるもの、繁栄と豊かさは、本当に私の民を正常な軌道から外してしまった。これは、あなたがたの愛を私から遠ざけようとする敵の計画的な動きであったが、それはうまくいった。私は私の小さな子供たちに言っている、あなたたちはこのような時期にあなたたちに対する私の意志を成就しているし、あなたたちが世界に進み続けると、さらに私の意志を成就していくことになるだろう。その間、私はあなたたちの人生から流れ出る隠された恵みと共に、魂たちの心の畑を耕している。私はそれらの恵みを使って、魂たちをさらにもっともっと私に引き寄せている。だから、あなたたちが感じる感情で判断しないでほしい。敵はその感情であなたたちを欺くだろう。むしろ、私が世の中に命を吹き込み、真の命と天国の光を、絶望的な闇に閉じ込められている魂たちの中に押し込むことができるように、物事を準備していることを信じてほしい。」
「朝、目を覚ますと、私に触れ、祈りと謙虚な仕えを通して世の中に喜びと真理を伝える使命があなたがたに与えられていることを信じ、あなたがたの前に置かれたすべてのことを成し遂げながら一日を過ごしてほしい。私は、私の目的を達成するために、あなたたちが捧げる優しい親切を通して働く。あなたがたに動機を与えることが私の意志であることを信じてほしい。私は物事を準備しているので、物事は非常に自然に起こり、進んでいくだろう。この過程で私への信頼を持つことが非常に重要である。あなたがたは豊かな喜びを感じるようになり、それがあなたがたを導く光となるだろう。あなた方は多くの迫害を受けるだろうが、あなた方がすべての魂の友であることを示すとき、迫害も打ち勝つだろう。私がこれらのことを導いているので、恐れないでほしい。」
これが主のメッセージの終わりでした。
このメッセージを共同体と分かち合った後、ある兄弟が昨晩、主が自分に言われたことを確認したと感謝を伝えに来ました。 彼は一晩中、主を待ち、主の言葉を聞きたかったし、主を一度でもちらっとでも見たかったのですが、何も起こらなかったそうです。 その時、ピエトレルチーナのピオ神父の本「Have A Good Day」を読んでいたら、「神が甘さを与えなくても、パンが乾いていて味気なくても、食べなさい。何の報いもなく神のために奉仕する愛、その愛が純粋で高貴になっていることを知り、満足して自分の義務に忠実であり続けなさい。」そして、私たちの共同体の礼拝で読んだ内容は、ドマが主の脇腹に手を入れてみるまでは信じないと言ったことについて、イエス様が「見ないで信じる者は幸いである」と言われた内容でした。
愛するHeart Dwellersの皆さん、正直に言うと、私は時々励ましの言葉を聞くと、その言葉が主ではなく、敵かもしれないという恐れを感じることがあります。 ですから、主がこのような確信を与えてくださった時、私は肩の重荷を下ろすことができ、私たちが本当に主を喜ばせていることを嬉しく思いました。