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446. イエス様との甘い時間

イエス様との甘い時間

2025年10月6日

イエス様の甘い味が、皆さんの魂の深い所に留まり、平安をもたらしてくださることを願います。アーメン。

今日の夕方聖餐を受けた後、イエス様がこのようにおっしゃいました。「私と共にいなさい。」

私は「主よ、ここにおります」と答えました。

「ついに私たちが、共に時間を過ごせるようになったのだな。」

「主よ、邪魔が入らなければいいのですが。」

すると主がおっしゃいました。「私はあなたの献身が必要だ。」

「献身いたします。」

「愛する者よ、私はあなたと共に過ごすこの時間を、あまりにも切望していた。」

「私もです、イエス様。」

「良い。それなら、今私たちは共にいる。」

この御言葉を皆さんと分かち合いたい理由は、主は皆さんに対しても、このように感じておられるからです。主は皆さんと共に過ごす時間を切望しておられ、皆さんは主が愛する者たちです。私がこのようなメッセージを伝える理由は、主が私たちにとって、どれほど近づきやすい方であるかをお見せするためです。主は皆さんにおっしゃるでしょう。主は皆さんを、あまりにも愛しておられます。しかし、私たち皆は、あまりにも多くの罪悪感と咎める気持ちを抱えて生きています。私たちは、主が私たちと共にいることを望んでおられないと考えます。これは、あまりにも事実とかけ離れています。このような考えは、敵の仕業です。敵が望む全ては、私たちを神様と引き離すことです。私は空腹と眠気に苦しめられましたが、その背後には敵もいたことを知っています。悪霊たちが私を眠らせようと、食べ物に目を向けさせようと試みましたが、今回はそうしませんでした。主が「私と共に、これを耐え抜きなさい」とおっしゃいました。それで耐え抜きました。私は、太陽嵐が私たちの精神と身体に、甚大な影響を及ぼしていることをお伝えしたいです。私が持っている銀箔の布が、放射能をある程度遮断してくれるようで、頭痛をなくしてくれます。最近、太陽のプラズマ放出がひどくて、混乱と脳の霧、眠気を誘発しているからです。したがって、もしこのようなレベルの混乱と方向感覚の喪失を経験しているなら、銀紙を取り出しておくのも良いかもしれません。

主の元に戻り、私は「主よ、私を愛してくださり、私と共にいようとしてくださって、ありがとうございます」と言いました。

主が、とても優しい口調でお答えになりました。「それは私の喜びだ。あなたは、はっきりと信じていないようだがね。ところで、あなたがBrennan Manningの言葉を聞くというので、うれしい。彼は本当に真のHeartdwellersだ。彼の言葉を聞くことが、あなたの賜物を新しくしてくれると思う。あなたは新しくなる必要があるのではないか。」

「はい、主よ、本当にそうです。私はとても疲れ果てていて、疲労していて、自信も少し失っています。私は何をすべきでしょうか。」

「それは簡単だ。私と共にもっと静かな時間を過ごすことだ。」

「主よ、しかし私は、しばしば邪魔に陥ってしまいます。今も目を開けているのがつらいです。」

「それも過ぎ去るだろう。」

「イエス様、そのように言ってくださると、本当にうれしいです。」

「あなたは私の言葉を聞いているから、それは本当に良いことだ、愛する者よ。」

「主よ、私は一つのメッセージの中で、相反するテーマが同時に進行し得るということが理解できません。悔い改めと父の愛ですか。」

「5月5日の夜、私があなたに最初に与えた恵みは何だったか。」

ちなみに、その夜は天から火が下りてきて、私の心と腹に宿っておられる聖霊様に出会った夜でした。

「私の回心の夜に、主が私に最初にくださった恵みは、私の全ての罪に対する強烈な自責の念でした。」

「そうだ。愛する者よ、あなたの心と精神に罪のかすが、それほど多く積もっていたが、その状態では私は新しいぶどう酒を、その中に注ぐことはできなかっただろう。まず、その器が燃え尽きて、きれいに消毒されなければならないのだ。私はあなたを繊細に扱った。あなたはドレスデンの磁器のティーカップのようだった。とても、とても繊細だった。あなたが反応する姿が美しかった。喜びの涙、自分の罪を悟る姿。その夜、あなたと共にいて、私の全ての夢が実現し始めた時、私はあまりにも幸せだった。」

「おお、主よ、あなたは私を、あれほど大きな愛で満してくださったのに、私はまだ道のりがとても、とても遠かったです。私の中には、あまりにも多くの堕落がありました。」

「そうだ。しかし、あなたはその堕落を見て、見続けてきたから、私はそれを通して働くことができる。自分の行ないを見ることを拒み、自分の罪を認めようとしない魂たちが、私を苦しめる。愛する者たちよ、決してあなたたちの罪に直面することを拒まないでほしい。真理から、決して逃げないでほしい。私はあなたたちを清めて、天国の恵みを受けられるように、あなたたちを備えさせに来るのだ。ところが、あなたたちが自分の罪を覆い隠そうとし、それを隠し、表に出すことを望まない時、私はあなたたちの運命に、不可欠なその恵みを施すことができなくなる。ある者たちは、幼い頃から自分が殴られることを恐れ、見捨てられることを恐れながら、自分の罪を隠すことを学ぶ。またある者たちは、他の人々が自分たちに失望することを恐れ、そして彼らがそれほど切望する愛と愛情を失うことを恐れる。それで、他の者たちは告白する準備ができて、自分の心と思いを、開いて矯正を受けるのに、彼らは静かに座っているだけだ。このような姿は、私にとって悲劇だ。なぜなら、私は彼らに天国の恵みを与えたいと、切に願っているからだ。しかし、彼らが自分が何をしたのか、自分が誰なのか、自分が誰でないのかについて、正直になるまで、私はその恵みを与えることができない。だから私は謙遜を学び、自分の失敗を告白する準備ができた他の者たちに、その恵みを与える。どうか、私の子どもたちよ、決してあなたたち自身についての真実を語ることを恐れないでほしい。」

「私はあなたたちを、あまりにも優しく愛している。あなたたちの至らない点が、あなたたちに対する私の愛を決して変えることはない。決して。あなたたちが成熟して、あなたたちの過ちについて、公に責任を負う準備ができた時、私は次の段階の恵みのために、あなたたちを本格的に備えさせることができる。しかし、その時までは、あなたたちは、非常に深い謙遜と完全さを持つ魂の中でのみ、安全であり得るその恵みを受ける準備ができていないことになる。なぜなら、その恵みは彼らを滅ぼすために使われるからだ。心を開いて、聖なる矯正を受け入れることは、大きな勇気と道徳的な力が必要だ。この勇気と力は、あなたたちが学ぼうとする心を持っていて、あなたたち自身に打ち勝とうとする、成長と発展のパターンを築いていく。これが、私が私の花嫁に見てみたいものだ。私は、アルコール依存症と闘ったフランシスコ会の司祭、Brennan Manningの言葉を聞いてみることを、あなたたちに勧める。彼は自分の弱さを、世にさらけ出した人だ。彼は大きな愛と理解で、よく整えられた人だ。」

主がおっしゃったその有名な御言葉が、全てを要約しています。「あなたが望ましいと思う姿ではなく、ありのままのあなたの姿を愛している。」

主が私に訪ねてこられた33歳のその年、私は主に献げるものが何もありませんでした。私は聖なる者にならなければならないと思いましたが、そうではありませんでした。主は、罪で汚れ傷ついた、砕かれた魂のままの私を胸に抱いてくださいました。そして、私に対するその方の圧倒的な愛を現され、その後、私は完全に変わりました。主の愛は、鳩の巣から風に舞う綿毛のように柔らかいです。その方の愛は、海の逆流に巻き込まれるように、完全に飲み込んでしまいます。その方の喜びは、暗い過去から私たちを引き出し、天国の恍惚境へと導きます。その方の愛は、すべての疑いと恐れ、憎しみと不安を掃き捨てます。主が私たちに触れられ、御心を明らかにされる時、私たちの心は言葉を失い、その方が私たちを愛しておられ、決して、決して見捨てられないことを疑いの余地なく知るようになります。主が私と対話される時、高慢な態度は全くありません。むしろ、主の声は穏やかで、安定的で、安心させてくれます。主は、私の心がなぜ苦しいのかご存じで、すでに解決策を用意しておられます。悪が潜んでいる時は、主は私をその方の腕に抱いてくださり、保護の御言葉で覆ってくださいます。主が悪魔とあらゆる有害な悪から私たちを保護されることを、疑いの余地なく知るようになります。その方の御名は堅固なやぐらなので、危険がそこを越えることはできず、むしろ私たちを危険から軽々と持ち上げ、安全にしてくださいます。私たちをお造りになり、その御手で形づくられることを愛される、私たちの神様のような方は誰もいません。

その方の慈悲の前では、どんな暗い悪も、どんな残酷な犯罪も、どんな醜い悪行も、その方の慈悲深さで赦せないものはありません。その方が望んでおられることは、ただ私たちをお赦しになり、私たちと和解され、私たちの傷を癒してくださり、私たちがいつも夢見てきた技術を身につけさせてくださり、夢を実現するために必要な支援を受けさせてくださることだけです。本当に、主は私に美術と音楽でそのようになさいました。私はいつも美術作品を作り、美術を通して何かを表現したかったのですが、棒人間の絵を超えることができませんでした。ところが、その5月5日以降、突然私は絵を描き、描く方法を知るようになりました。それは、ほとんどすぐに私に与えられた贈り物でした。そして、主は音楽の贈り物もくださいました。主が私の人生をこのように整えてくださったことに、私は圧倒されました。主は、私から写真の技術を取り上げられましたが、これは私にとって挑戦でした。その技術が、私を自惚れさせることができたからでした。代わりに音楽をくださいましたが、これは驚くべき贈り物である一方、時にはこれをやり遂げるために、本当に奮闘しなければなりません。音楽は、私を謙虚にします。

主は、私たちが今まで知っていた誰かとは違います。主は神様であり、全能であられ、栄光に満ち、誠実で真実な方です。私たちが持つことのできる、最高の友人です。主は、私たちのすべての必要を満たしてくださることができます。冬の暖かさや、干ばつの中の水や、庭のための日差しや、愛する人々のための癒しや、私たちの羊の群れと牛の群れの繁栄のような、すべての必要を満たしてくださることができます。主が要求されるすべてのことは、私たちが主の法に従って生きることです。それが、結局は私たちに最大の幸福をもたらし、永遠の命へと導いてくれるでしょう。

私が救われる前、私は自分の人生を台無しにしました。33歳になった時、私の人生は深刻な立て直しが必要でした。本当に、めちゃくちゃでした。その夜、主は天から降りてこられ、私の中に住まわれました。すべてが変わりました。私は、インスピレーションと能力と方向性を与えられ、それは私に大きな喜びを与えました。

そして、善い夫もくださいました。夫は本当に誠実な人です、愛する皆さん。主のもとへ進み出て、自分の過ちを告白することを恐れないでください。Brennan Manningが言ったことを覚えていてください。「あなたが望ましいと思う姿ではなく、ありのままのあなたの姿を愛している。」この言葉を覚えて、自分への非難が人生の喜びを奪わないようにしましょう。主は本当に、本当に私たちを愛しておられることを知って、前に進みましょう。