041. イエス様との親密さのための祈り:主の内にとどまり、主の声を聞く祈り(dwelling prayer)
イエス様との親密さのための祈り:主の内にとどまり、主の声を聞く祈り(dwellingprayer)
2015年6月19日
私たちは、私たちの祈りの形式を「主の内にとどまり、主の声を聞く祈り(dwelling prayer)」と呼んでいますが、これは私たちが主を愛し、主に従い、主の約束に従って留まれば、主が私たちの内に留まられるからです。 (ヨハネの福音書14章21節を参考してください)。 私たちは、この祈りの基礎となる聖書箇所を説明するYouTubeのプレイリストを持っています。タイトルは 「I‘m Calling You To Intimacy」です。
始める前に、「かたき縛り付け祈り」を使ってください。この祈りは、私たちの罪と欠点を悔い改めることから始まります。イエス様の御名の権威を持って宣言してください。人々について、霊たちについて、様々な現象についてです。
私たちは賛美と感謝で主の臨在の中に入り、主を霊と真理で礼拝します。皆さんは音楽を使っても、音楽を使わなくてもこのように礼拝することができます。私たちは主に直接捧げる賛美の歌詞を使って主に近づくことをより好みますが、皆さんは祈りと礼拝、異言を通して、心を込めて主に直接近づくこともできます。 私たちが礼拝する時、イエス様が近くに立っておられるようなイメージが心に浮かぶことがあります。これらのイメージはただあなたが作り出した想像ではなく、あなたの心の中に神様が入れてくださる聖なるものです。 それを消そうとせず、現実として受け入れてください。
礼拝を続けながら、「霊」、つまりあなたの聖なる想像の中で見えるものに集中してください。主があなたと一緒に踊ったり、ビーチを歩いたり、庭に座っていたりするかもしれません。霊の中であなたに浮かんでくるイメージに敏感になってください。 そして、主と一緒にいてください。主を愛することに集中してください。そうすれば、主の愛があなたを主自身に引き寄せます。 あなたは主の愛情と、主があなたを見て喜んでいることを感じることができるでしょう。 その感情に留まってください。主を見たり聞いたりすることに困難を感じる、99.9パーセントの原因は、私たちの不信や間違った罪悪感にあります。主と一緒にいる時間を軽く考えたり、思い浮かぶイメージを消してしまわないでください。それがあなたが不信仰になる最初のステップです。
主はあなたの内側に、ある考えを入れることによって、あなたと対話を始めることができます。まるで霊的な声のように。 主はいつも親切で、優しく、慈悲深く、愛情深い心であなたに近づくでしょう。 主は決して厳しい方や、非難する方ではありません。 あなたは主との会話を書き留めておくことを望まれるかもしれません。これは良いことです。後であなたが書いたものを読み返して、主が言われたことを思い出し、主から聞いたことを確信することができるからです。 また、あなたは主に対して答えることもできます。これは主とあなたとのお話の時間になります。
イエス様はあなたの前で、いつも純粋です。不適切な、または性的な引き寄せのような感じは決して存在しません。 主はあなたを優しく抱きしめ、額にキスをすることができます。しかし、そのような性的な引力はありません。 主は神です。 主は純粋です。 主は純潔です。主の愛情で、あなた方一人一人が、限りなく愛されている大切な魂であることを、一人一人に確実に明らかにするためだけです。
その間、皆さんは心の底から湧き出る他の人のための祈りを主に注ぐことができます。主の言葉を聞くことに慣れてくると、あなたは主と一緒にいるその時間に、より快適に主の臨在の中に入ることができるようになります。 主は、あなたが主を見たり聞いたりするかどうかにかかわらず、いつもあなたと一緒におられます。主はいつもそこにおられます。 主はあなたの右側におられます。
もしあなたが罪を犯し、罪悪感を感じたら、「主から逃げないで、主のもとに駆け寄ってください。」主に罪を告白し、赦しを求めることを恐れないでください。それは主を喜ばせることです。主はすぐにあなたを赦し、次に誘惑が来た時に、より強く立つことができる恵みを与えてくださいます。
人々は私たちに「どうしてそれが悪魔や、それに似た霊ではなく、主であることが分かるのですか」と、尋ねます。私たちは、その実によって分かるだろうと答えます。私たちの中には、悪魔が埋めることができない、神様が造られた空間があります。皆さんが祈りに慣れれば、その場所を感知するようになり、その場所が空であるか、満たされているかを感じるようになります。 何よりも深く、継続的な平和と、皆さんが必要とする力を感じるようになります。 これは、神様が本当に皆さんと共におられるからです。そこで、あなたは恥ずかしさ、混乱、非難する心を感じることはないでしょう。 たとえあなたが何か間違ったことをしたと感じ、赦されなければならないと感じたとしても。赦しの果実は平和であり、主の愛もこのようなものです。
ある人は、幻の中でイエス様と思われる人に、このように言葉で尋ねることもあります。「あなたはイエス様が肉体で来られたことを認めますか? これにただ「はい」と答えるだけでは信頼できません。 私はイエス・キリストが肉体で来られたと信じていますと繰り返し答えなければならないでしょう。」彼らはヨハネによる福音書1章4節を根拠にそうします。「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」
私は深い祈りの集まりの時に、悪魔に質問する、このような箇所を見たことがあります。悪魔は確信を持って答えましたが、私たちは悪魔が嘘をついていることを知っていました。 だから、私たちはこのような形の証明はあまり信頼しません。
もしあなたが主と一緒にいると思っているのに、怒り、憎しみ、非難する心、希望のない、嫉妬、欲求不満、性的な興奮を感じるなら、これは主のものではありません。 再び「かたき縛り付け祈り」をしてください。再び礼拝の時間に入り、さらに礼拝しますが、今度は賛美を使ってください。私たちは、主の臨在の中に私たちを導く賛美のリストを持っています。主の臨在は愛と優しさであることをいつも覚えておいてください。もしそれが感じられないなら、あなたはそれについて非常に疑うべきです。もう一度「かたき縛り付け祈り」をしてください。
もしあなたが呪術のようなものの背景を持っていたり、赤ちゃんの時にサタンに捧げられたことがあったり、あるいは超能力や占い、呪術、オカルトのような過去経験を持っている場合、あなたは、あなたに話しかける方がイエス様であることを確信する前に、まずそのような悪霊の世界から解放されなければなりません。もしあなたの家族歴に精神病、不安定性などのものがある場合は、礼拝を通して主の臨在の中に入ることに非常に注意し、どんな考えや、感情の極端に従わないように注意してください。あなたは今、霊的な世界を扱っており、それはあなたが本当に必要なものを買うためにショッピングモールに行くようなものです。 そしてそこには、邪悪な目的であなたとつながることを望む捕食者が潜んでいるからです。
主の霊が強いところには、それに反する強い悪霊の気流もまた存在します。 なぜでしょうか?霊と真理でイエス様に近づく人は誰でも、闇の王国に脅威となるため、悪魔はその人と主との、そのような親密な関係を崩壊させるために何でもしようとするからです。しかし、主が私たちを守り、導いてくださいます。 あなたが大きな困難に直面した時、恐れないでください。私たちや、他の検証された人々と一緒に、答えを見つけてください。イエス様の名前に関連した御言葉を覚えてください。すべての膝が主にひざまずき、すべての口がイエス・キリストを認めるようになるでしょう。その名前を使って、「イエス様の御名によって、わたしが命じるから、わたしを離れて二度と戻って来ないで。」と祈りましょう。あるいは、かたき縛り付け祈りをしてください。かたき縛り付け祈りは私たちが知っている中で最も効果的な祈りであり、私たちはその祈りの最新バージョンを用意しています。 最新のバージョンが最も良いものです。
あなたは主の愛する人であり、あなたが主と一緒にいることを切望するよりも、主がそれを切望していることは間違いない事実です。