048. 惑わす霊の働き方
惑わす霊の働き方
2014年12月6日
エゼキエル:天国ディスカッションへようこそ。夢、幻、そして天国に関するすべてのものに関する説明と議論がある時間です。私はエゼキエルです。
クレア:そして私はクレアです。
エゼキエル:ここは、サングレ・デ・クリスト山脈があるニューメキシコのトアスにある小さな丘です。こんにちは、良い午後です。
クレア:さて、ユーチューブファミリーの皆さん、私たちは、私たちが以前に言及した秋收感謝節の頃に携挙が起こらなかったので、失望している皆さんの気持ちを深く理解しています。 実は、ある女性から手紙を受け取りましたので、その手紙の一部を読ませていただきます。彼女が言うには、「いくつかの理由で、私たちは携挙の最後の日について騙されました。なぜなら、携挙が来れば、この世の虐待と困難が終わるという大きな希望を与えてくれたからです。 主は数日前に、私たちに最後の日を聞くことを許可されると言われましたが、私たちがそれを聞きたかったからです。 私たちがその答えに執着しすぎていたため、悪魔が介入しました。主はいつも私たちと一緒にいて、私たちを愛してくださっています。 ですから、私たちは、私たちの言葉が明確で、分別ができるように祈りました。 しかし、私は分別がうまくいったとは全く思っていません。私たちの多くが先週、あるいは先々週の間にそう感じたと思います。
エゼキエル:はい、霧のような状況で、揺れ動きました。
クレア:はい、一種の嵐、とても荒々しい嵐のようなものでした。
エゼキエル:はい、明らかにある種の抑圧と干渉がありました。
クレア:ご存知のように、とても微妙で、このような抑圧はとても微妙で、私たちはそれが抑圧であることに気づかないのです。 そして、悪魔が使うある技術があると思います。 彼らはそれを微妙にし、私たちが気づかないようにするのです。まるで皆さんにじわじわと忍び寄るような感じです。
エゼキエル:そう、そう。それは、ある日ベッドから起きて、「私はどこにいるのだろう? 何だろう? 主よ、今、私に話しかけられたんですか? あるいは、日記をめくって、主の言葉が何であるかを調べ、聖書が何と言っているのかを調べますが、それを感じることができないことがあります。 そして、私たちは時々、私たちの感情を本当に信じることができないと思います。
クレア:そして、悪魔は明らかに私たちの感情で遊んでいます。 私はすでにYouTubeに主から与えられた非常にシンプルなメッセージをアップロードしていますが、今夜、その言葉をもう一度読んで、私たちの会話を進めるために、このメッセージをもう一度読むのがいいと思います。私はこれを私のパソコンに入れておいたので、ちょっと探してみます。
内容はこうです。主が言われました。
「この最後の時に私の花嫁たちが陥る多くの偽りのために、私の心は深い悲しみの中にある。わたしの名を名乗る者が大勢現れるだろうと、警告しなかったのか?」
「羊飼いのせいであって、あなたがたのせいではない。 だから私は『誰もその日とその時を知らない』という言葉で始める。しかし、あなたがたはその季節を知ることができる、そう、今がまさにその季節なのだ。」
クレア:私たちは皆、シーズンを知っていますよね!この言葉にはとても強い感覚があります。
エゼキエル:もうすぐです、目の前に来ていますよ!
「私の花嫁たちよ、あなたがたは必ず、悪魔があなたがたに行うことよりも賢くならなければならない。そのような邪悪な生き物は、あなた方があなた方自身を知るよりも、あなた方をよく知っている。これが、あなた自身を知ることが大切な理由だ。」
クレア:そして主は、悪魔に向かって扉が簡単に開く、罪のリストを与えてくださいました。 今、私はそのリストをとても速く見ていきます。
「傲慢、偽りの言葉、利己主義は、邪悪なものが侵入するための入り口だ。 あなたがたはこう言われる。あなたがたはとても特別で、他の人とは違うから、秘密の知識を受け取るために選ばれたのだと。」
クレア:だから、悪魔は私たちの傲慢と虚栄心を利用するのです。
「そして、私はあなた方一人一人に言う、あなた方全員、一人一人がユニークで、それぞれが特別だ。それがすべてだ。彼らがあなたがたを他の人より優位に立たせ、尊敬しているふりをして、あなたがたを誘惑しないようにしなさい。 秘密の知識が続く限り、あなたがたはニューエイジの精神に従うことになり、秘密の宗教に惑わされることになる。」
クレア:皆さんはきっとそうならないようにしたいでしょう。 これについてはっきり指摘しておきたいと思います。キリスト教の歴史には、常に「秘密の知識」を持っている人がいるという観念がありました。 彼らは神様と特別な関係を持ち、彼らはとても特別で、神様が彼らにすべての秘密を打ち明けたと考えるのです。 私が言いたいのは、聖書は、神様が預言者たちに秘密を知らせることをあかしているということです。しかし、それが何かすごいものになったり、ある運動になったり、人々がどんどん神秘的なもの、難解なもの、非常に高次元のものなどに夢中になるとき、それは主ではないのです。 それは明らかな悪魔の罠です。それが高級感と強い否定的な感情を持つ傾向があります。イエス様、ヤハウェ、父の名前、イエス様の名前を使うからといって、これを神様の働きと言うことに注意してください。そして、一部の人々は、あなたがイエス様の名前を使うことを非常に不快に思います。 私は皆さんにお伝えしたいことがあります。悪魔はイエス様の名前が意味することを知っています。私たちはイエス様の名前で悪魔を追い出したことがあったが、それは完全に効果があります。 ここで、イエス様の名前に関連した問題はありません。 本当の問題は、自慢して傲慢に「さあ、これが正しい名前であり、あなたはこのように言わなければならない」と言う人たちの心の問題です。 このような心は、イエス様の体である教会の葛藤と分裂を引き起こします。
エゼキエル:混乱ですね。
クレア:ええ、混乱ですね。 人々は主を呼ぶことに慣れていますよね。 特に年配の方たちは、イエスの名によって、父の名によって、などなど。そして私たちもそうですね。
エゼキエル:人々は多くの素晴らしい賛美歌を切り捨ててしまいますね。 そうですね?
クレア:そうですね、私たちが歌うことができない多くの賛美歌があるのですが、(それが本当なら)それは、一部の人々があまりにも断固とした意志で、主へのふさわしい名前を使わない他の人々を非難し、自分たちがしていることに誇りを持っているからです。 そして私はこれが良いことだとは思いません。 私たちは本当に気をつけなければならないと思います。 人々がヘブライ語の名前を使い、それを使うことを快適に感じるのは良いことだと思います。しかし、そのような名前を使うことを不快に思う人たちにも、私たちは少し理解する必要があります。
エゼキエル:ええ、私が言いたいのは、私たちはラクダを呑み込みながら、かげろうを除くということです。 ご存じの通り、私たちは愚かな議論をしようとしているわけではありません。
クレア:そうですね、良いご指摘です。つまり、私はこれらのことについて議論したくないのです。 馬鹿げたことです。
エゼキエル:分裂させて征服せよ。分裂させて征服せよ。
クレア:そして、おそらく私は、あまり遠い未来ではなく、今夜、主の苦しみの一部をテーマにするつもりです。 あなたが見た幻の中で、人々が激怒していたので、主は苦しんでおられましたよね。 その話を教えていただけますか?
エゼキエル:私たちは再び繰り返し主を十字架に架けています。事実、私が以前の集会で述べたことを直接お話しします。 私は金物屋に行き、鉄路で使う長い釘を3本買いました。 すでに以前、主は死なれました。 (主が死んだ方法は不運で悲惨なものでした。) 次の集会に来て、私はこれらの釘をテーブルの上に置き、立ち去ろうとしました。 覚えていますか? 主のこのメッセージをもう少しお伝えします。 皆さん、どれだけ多くの釘を主の体に打ち続けようとしていますか? 私たちはどのように主を殺しているのでしょうか。私たちは覚えなければなりません。私たちが話したその教会の女性、兄弟や姉妹、説教者や牧師、私たちが非難し、傷つける彼らが、まさに「イエス様」であることを忘れてはなりません!
エゼキエル:私たちはそうすることはできません。 それは体をすり減らす癌のようなものです。ご存知のように、それは自分自身を侵食するものです。
クレア:そうなんです、そうなんです。 前に何度も皆さんが言ったように、もしあなたが苦しんでいたり、障害を持つ子供を持つ親であれば、その子供を指差して、「ほら、彼らは歩けないじゃないか!」と言うことはないでしょう。 その子供の親にそのように言うことはないでしょう。
エゼキエル:そのように言うのはとても傷つけることです。
クレア:あなたはとても思いやりがあり、彼らのために祈り、その子供が治癒するように祈ります。 私は「クリスチャンは負傷者を殺す」という車のステッカーが嫌いです。しかし、そのステッカーは示唆に富んでいます。私たちに多くのことを示唆しています。私たちの多くの人々も、(しかも、私はYouTubeでも見かけました。)私たちはかなり厳しい評価を受けています(笑)。そしてご存知のように、神様は彼らを愛しておられます。一部の人々は、自分たちが主を助けていると思い込み、他のクリスチャンを特定の知識で乱暴に追い込む人がいると私は思います。 「あなたはその真理を知ることになる!今、私があなたに真実を教えよう!」と言いながらですね。そしてこれは本当に悲しいことですが、 さまざまな教派の中でも、私たちは東方正教会で主を経験してきました。 さまざまな儀式を行う教派なんですけど、知っているんですよね? 私たちは福音教会、ペンテコステ派教会、メソジスト教会でも主を経験してきました。カトリック教会でも主を経験してきました。 人々が他の宗派を非難することは、私の心をとても悲しませます。 そして、ほとんどの場合、その非難には本質的な内容がありません。 彼らはその事実を知りません。
エゼキエル: オウム返しのようなことですね、他の人が言ったことを真似るだけです。 私はかつて北アフリカに住んでいた友人を知っています。 彼は私にこう言いました、「私は福音主義のクリスチャンですが、私は長い間、一人のクリスチャンも見たことがありません。私はイスラム教徒の国、州、地域にいました。 私は空腹で、疲れ果てて、水を求める喉の渇いた者のようでした。私はエジプトのコプティック・クリスチャン教会の修道士の一人のところに行ったんです。司祭と修道士が外に出てきました。 私は彼らが誰なのか、何をしているのか、彼らの名前が何なのか、気にしなかったんです。聖書の一節を見たけど、気にしなかったんですわ。 私はただ、他のクリスチャンに会えたことがとても嬉しかったんです!一年ぶりだったんですわ。」
クレア:そう、あなたは他のクリスチャンの中に宿る主の臨在を感じたのですね。
エゼキエル:皆さんは霊でお互いを知る必要があります。
クレア:もちろんですね、彼らは今、信仰のために首が切られている人たちです。あなたが知っているように、私たちが買い物をしたり、日常生活を送っている今です。
エゼキエル:彼らの子供たちさえも!?
クレア:子供たちが主への信仰の告白のために命を落としています。 そして、その子供たちはこのコプト教会の信者です。
エゼキエル:コプト教会だけでなく、パレスチナのクリスチャン、東方、中東や他の地域にも多くのクリスチャンがいます。
クレア:そうです、そうです、福音主義者だけでなく、伝統を重視する教会にいる人々も、彼らの信仰の告白のために死んでいきます。 彼らはイエスの名前を否定しないので、人々が彼らの首を切るのです。
エゼキエル:はい、ご存知のように、私たちは儀式や歴史、あるいは多くの人が言うように、人の教訓のようなものについて議論しているのではありません。 それらを、私は気にしません。 私たちは皆、家族内の伝統のように、伝統を持っています。文化とか伝統とか、私は気にしません。 彼らがイエス様を愛し、彼らの人生を喜んで主に捧げようとしているのなら、それが私には本当に感動をさせます。
クレア:はい、私たちは皆、伝統を持っています。ある伝統は聖霊様に触発されたものですが、ある伝統はそうではありません。 私は、聖霊様に触発されていない伝統は取り除く必要があると思います。
エゼキエル:今日議論されているのは、「ああ、私たちは宗教を持っていない。 ただ、私たちは信仰を持っている」ということです。皆さんが宗教という言葉を使う良い宗教は何んだろうか思いますか? みなしごや、やもめを養うことです。 これを見てください、皆さん。私たちも宗教という名前を持っています。宗教的な違いによって、私たちが再び主を十字架に追いやり、鞭で打って釘付けにしないように注意しなければなりません。
クレア:さて、分別について話を戻しましょう。分別というテーマから少し離れているようですが、とても重要なことです。私たちが他の人を非難するようになると、私たちは自分自身に邪悪な霊が入り込むための扉を開くことになります。
エゼキエル:欺瞞、大きな欺瞞。
クレア:あらあら。私は私たちの結婚生活で何かを発見しました。 教会で傷ついたときがどのようなものかご存じでしょう。 教会で傷ついたまま出てくると、家に帰って、人々が言ったことやしたことを話し合い、不機嫌そうな態度をとるようになります。 そして私は、その時、最終的に私たちはお互いに喧嘩をし始めることに気づきました。 これらの問題が最終的に解決するまでに何年もかかりました。なんて愚かなことでしょう。
エゼキエル:私たちはこう話し始めました。「何がドアを開けたのでしょうか?」
クレア:私たちは知っていました。 何が扉を開いたのでしょうか?他の人を非難することで私たち自らドアを開けたのです。
エゼキエル:私が思うに、主が私たちを謙遜にされる一番の近道は、私たちの口、私たちの心を開く瞬間です。私たちは口では言わないかもしれませんが、私たちの心は判断をしています。 主はその問題について深く関わってくださるでしょう。 私たちの心の判断。私たちは皆傷ついており、私たちは皆、癒しを必要としています。主は、私たちが何年にもわたって細かい粉に砕かれ、どんな判断もしなくなるまで、私たちにとても厳しくしてくださいました。 今、私たちはそのような判断をすることができなくなりました。
クレア:はい、そしてこれは分別に影響を与え、主は私たちが失敗することを許されています。もちろん、私たちが他の人を裁くとき、私たちも同じ裁きを受けることになります。 それが主が私たちに裁きについて警告されたもう一つの側面です。ですから、私が最初に言及したのは、傲慢、偽りの言葉、利己主義であり、これらは悪霊が侵入するための扉を開く最初の要素です。第二の扉は孤独です。私たちはここで、分別において、どのように間違いが起こるか、敵が入り込むことを私たちがどのように許すかについて、話そうと思います。 ですから、孤独はドアを開く第二のものです。 失敗した結婚、一人で孤立していると感じること、ビジネスや教会での苦い失敗、クリスチャンコミュニティ内の他の人々から受けた拒絶と傷。 これらのことで、私たちが傷つき、心身が弱くなり、敵の攻撃を受けることができるようになります。 なぜなら、悪魔は私たちが弱くなっている時に、私たちを攻撃しようとするからです。 悪魔は私たちが失望したり、弱くなっている時に傷つけようとします。
エゼキエル:傷ついた魚症候群ですね。
クレア:そうです、悪魔は送り、待ち、見守り、私たちが傷つくことができる状況を作り出します。 そうすると、ある状況に割って入ってきて、私たちを傷つけ、叩き始めます。 そうすると、私たちはまた他の人を傷つけることになり、敵が侵入できる門はより広くなり、状況は悪化します。 ですから、孤独と、失敗した結婚と、孤立も、敵が侵入する門なのです。3つ目の扉は、私たちが望むものに対する執着です。執着することで、私たちは自己満足、不従順、自分自身が自分をよりよく知っていると思う状態になります。ああ、ああ、私はこのような過ちを犯したことがあります。
エゼキエル:あなたはどれほど頻繁に主に向かって、「ああ、どうかそうだと言ってください、ああ、お願いします」と言いましたか。あるいは、「ああ、どうかそうでないと言ってください、ああ、お願いします。 私はそこに行きたくないので、この願い通りに言ってください。」ご存じの通り、主は私たちに隣人愛や、あらゆることに関する聖書の言葉を与えてくださいましたが、実際には、私たちは、怠惰で、行きたくないから、病気の姉妹や兄弟に行かないという事実を正当化するために、聖書の言葉を手に入れようとしていますよね!ご存じの通り、そのような執着は、私たちが手に入れたいものへの執着でしかありません。「ああ、主と一緒にいるためにはこれが必要だ。 主と一緒にいるためにはこれも欲しい。 私はこの幻を見ることをとても望んでいる。」このように何かを切望しているのです。
クレア:覚えておいてください、ほんの少し前に、私はラベル接着機とCDバーナーを買う機会があったが、「私は本当にこれが必要だ」と思いました。 そして主はそうではないと言われました。 そして私はそれに対してとても怒りました。
エゼキエル:それで、あなたは意気消沈していたのですね。
クレア:私はとても落ち込みました。 私はグラフィックとフォトショップで作業するのが大好きで、私たちはDVDにラベルが必要だったのですが、主は「いいえ」と言われました。 ご存知のように、私はそれが必要でした。 しかし、少しの内的な戦いがなかったわけではありません。 確かにそうでした(笑)。
エゼキエル:かわいそうなイエス様!(笑)。
クレア:そうですね。
エゼキエル: ある日、クレアは私に、「主と私が戦っているので、私のために祈ってください」と言いました。それで、「私は主のために祈るよ!」と言いました。(笑) ただの冗談しましだね!(笑)!
クレア:これが、敵が侵入するための扉を開く執着です。もしあなたが悪魔が要求するものを本当に欲しがっているのであれば、悪魔は私たちがそれを手に入れることができると言うでしょう、それは道から外れるようにするためです。そして4つ目は自己嫌悪です。生存本能は、それが現実であろうと想像であろうと、私たちが持つ醜い自己イメージに対応し始めます。自分自身の醜さを見たくない私たちは、これを防ぐために、自分自身が特別な存在になるファンタジーの世界を作る傾向があります。私たちがこのような幻の世界を作ると、悪魔はその世界で私たちを支配するのがとても好きです。
エゼキエル:ああ、皆さんは、あらゆる種類のきちんとした幻や、夢や、言葉や、あらゆるものを持っています。しかし、私たちが言ったように、私たちは本当に正直になり、私たちが本当に誰であり、私たちが何でないかを知ろうとしますか?主は私たちの間違ったものを取り除こうとします。 そうすれば、主は私たちに良いものを与えることができるからです!主は私たちを傷つけたり、私たちの人生を奪おうとしているのではありません。
クレア:そして、私たちは私たちが思っているほど、ひどく悪いわけではありません。
エゼキエル:そうですね、そうではありません。
クレア:しかし、主が私にとても慎重に話してくださった別の部分があります。その部分を皆さんと分かち合いたいと思います。主はこう言われました。
「今、私はレマを使う2つのコミュニケーション方法を勧める。」
クレア:レマは主が照らしてくださる言葉ですが、皆さんは聖書でその言葉を探したり、あるいは車のバンパーステッカーや掲示板でも見ることができます。
エゼキエル:あるページにおいて、ある箇所が他の箇所よりも目立つようになる時ですね。
クレア:そうそう。そして、レマに出会うと、あなたの心と魂に震えがあります。聖霊さまがあなたの見ているものを、準備されていることを感じることができます。私たちはそれを行う特別な方法があり、後でそれをお見せします。 皆さんは、食卓に置いている「毎日の食物箱」に少し慣れているかもしれません。 本を使うという点を除けば、それと非常によく似ています。 そして、私たちが使っている本は「聖書の約束」(the Bible Promises)です。
エゼキエル:あなたはその本をクリスマスプレゼントとして贈ることができるでしょう。 「聖書の約束」は大切な本です。
クレア:「悔い改め」のような他の読み物もそうですね。
エゼキエル:「私は悔い改めました」、「私は神の愛を持っているので、できます」というようなタイトルだけにとどまらないでください。実際に聖書を読んで、主が何を言っているのかを知ってください。実際、最近、主が私に言われたのは、小さな本や、聖なる本で、神様の言葉が目についたら、聖書のその部分を見つけ、その章を全部読んで、主が私に話そうとしていることを、より明確かつ具体的に知ることが助かりました。 そうですよね?
クレア:そうです。 私がこのような話をする理由は、これが私たちを多くの間違った言葉から救ってくれたからです。 私たちはこの小さな書物を開いて、「嘘。」「肉の欲望」、「嫉妬」などの部分が開いたら、私たちは私たちを欺く霊があることを知るでしょう。
エゼキエル:はい、そしてこれは「Dip for Script」とか、ある種の占いや、呪術のようなものではありません。
クレア:ですから、主は実際に、私たちがこれを使うことを望んでいることを確信させてくださいます。もし携挙が秋收感謝節の前に起こると思っていた人々がそうしていたら、彼らは「偽りの霊」に取り憑かれ、偽りの霊が彼らに真実でないことを言っていたことに気づいたでしょう。さて、主が言われた内容です。主はこう言われました。
「私の意志を知ることについて、悪魔が他の人々の心に占いや幼稚なことだと言って何かを植え付けたかどうか、私は気にしない。そのような考えは間違ったものでしかない。人々が最初から占いたいという動機でそうしているのでなければ、間違ったことは何もない。」
「私が説明する。もしあなたがたが従順になるために私を求め、聖霊さまに祈り、彼が何を望んでおられるかを尋ねるなら、私はあなたたちの努力を守る。しかし、もしあなたたちが不安の中で答えを求めたり、未来を予言したり、秘密の知識を持とうとしたり、他の人を感動させたいと思いながら、私の言葉を探すなら、あなたたちはほとんど占いをするようなものになるだろう。」
クレア:気をつけてください!占いに近づくと、悪魔はそれに対するすべての偽りを持って騙します。 ですから、レマや、主からの言葉を持つことが適切です。もちろん、悪魔はそれを邪悪な何かに模倣したり、人々の心に間違ったものを植え付けることもあるでしょう。
エゼキエル:私たちの多くが最初に主のもとに来たとき、どのように聖書を勉強するのか、あれをするのか、これをするのかを知らなかったことをお伝えしたいと思います。 私たちはただ聖霊様によって、いつの間にか聖書を読み始めました。 そして、主が私たち全員を新しい信者として、主が望まれる方法で導いてくださったことはとても驚きました。私たちの何人かは、ただ目を閉じてページに指を入れました。 皆さんはそうすることに気をつけなければなりません。ある場合、「神様があなたを完全に拒絶した」というような感覚を持つことができます。しかし、聖書や、書物である「聖書の約束」や、聖なる本などから、レマを手に入れたら、私たちはどうするでしょうか。 私たちは整理用のカードにそれをよく保管します。まるで小さな領収書を保管するように、私たちはそれらを保管します。さて、私たちはカードボックスを何年もの間持っています。 そして、いつでも私が自分に対する外的な確信が必要なとき、私は妻や他の人に祈り、自分が受け取った御言葉を見てもらうように頼みます。たぶん、その言葉が何についてのものかは言わないでしょうが、私たちはこの小さな「毎日の食物箱」に行きます。
クレア:そうですね、私たちはインデックスカードを貼って、それらを集めています。
エゼキエル:私はクレアの箱に行きたくありません。なぜなら、その箱には、ある種の厳しい、訓練、断食をさせるような厳しい言葉があるからです。 しかし、私が本当に知りたいと思うと、その厳しい箱に行きます!(笑)。そして確信しているのですが、主は私に本当に愛おしく、優しく、良いものを与えてくださいます。 しかし、三脚が三つの足で立つように、正しい証拠は二人、三人の証人に確認されます。私たちは真に聖書から来る第二、第三の証拠を信頼します。
クレア:ナビゲーションように。あなたが海に出ていて、ある座標を読んでいるとします。あなたが正確にどこにいるのかを知るためには、別の座標が必要です。さて、もしあなたが未来を予言しようとするなら、主が、それは占いに近いものだと言われた後、与えられたものをすべて読み終えることはしませんでしょう。
これについて、主がこう言われました。
「私の意志を見分ける上で、あなたたちの動機は純粋でなければならない、また自分の個人的な計画から分離されなければならない。私の祭司と預言者たちは、分別を得るためにこのような形式を使ってきた。あなたがたがこの現在の文化を普及させるずっと前からだった。あなたたちの文化がそのような動機に慣れる前に、私の意志を得るためにこのような形を使用してきた。私は、他の手段がうまく機能しないとき、あなたたちが私から言葉を受け取るために、「聖書の約束」や聖書の言葉を使うことを支持する。さらに願わくば、あなたたちは魂の奥深くにある真実を感じなければならない。その場所は、悪魔が入ることも、模倣することもできない場所だ。」
「覚えておいてほしい、悪魔はあなたの弱点を探し回り、あなたの過去を知り、それを利用する。これを騙しに利用するのは簡単だ。これはあなたたちを誘惑するための餌なのだ。もしあなたたちが自分自身を知り、私の道を理解すれば、あなたたちは囮になることが少なくなり、敵の欺瞞から逃れることができるだろう。」
「もし他の人に良い印象を与えたり、何か影響を与えたり、楽しませようとすることがあれば、それはあなたたちを脆弱にし、敵に簡単に操られるようにする。どんな種類の利己的な欲望であろうと、その欲望はあなたを悪魔の標的になるように誘惑するだろう。」
「他の人を助けたいという欲望さえも、誘惑に利用される可能性がある。もしその欲望が本当に適切で、私によって厳密に指示されたものでなければ、これもまた悪魔の標的になる可能性がある。つまり、あなたの心の動機にある不純物は、あなたを脆弱にする。名誉を欲しがったり、他の人と違っていたり、重要であろうとしたり、他の人を操作したり、影響を与えたり、コントロールしたりしたいのであれば、それは悪魔に広く門戸を開くことになる。」
「従って、あなたたちの最も安全な姿勢は、純粋な愛であり、唯一の私への完全な献身だ。そして、あなたがたが自分自身を愛するように、あなたたちの兄弟を愛することが最も安全な姿だろう。」
クレア:そして、これらの指針は主が私に下さったもので、今、非常に多くの苦しみがあるからです。 分別は非常に難しいです。悪と悪魔は拡大していて、彼らは私たちを欺く新しい方法を絶えず見つけています。そしてもしあなたの人生に罪があるなら、告白していない罪があるなら、主はあなたが倒れることを許すでしょう。 あなたがそれを証明するために、聖書を使うか使わないかにかかわらず、主はあなたが罪に陥ることを許すでしょう。ですから、あなたの動機だけでなく、あなたの生き方も純潔でなければなりません。 多くの場合、私たちは自分が主に対して罪を犯していることを知りません。まるで、私が傲慢だと想像もしなかった部分で、主が私の傲慢を指摘されたようにです。
エゼキエル:私たちはこれまで、教会内の保護膜の中で、傷ついた人々が死ねる殻の中で生きてきました。 そして、誰にもそれを知らせませんでした。 私たちはお互いに罪を告白しません。 私たちは良い友人にさえも弱さを共有しません。 なぜでしょうか? なぜなら、突然、ある友人がインターネットにアクセスして、その弱さに対する何か恥ずかしいことをタイプしてしまうかもしれないからです。そのようなことはあなただけを傷つけるだけでなく、彼らはあなたの状況についても話すでしょう。 そして、もしあなたがそのようなことに不快であり、彼らがあなたの許可も得ずにそれをした場合、それはあなたの気分をひどくするでしょう。 でも、私たちは透明でなければなりません。 「彼らは私を傷つけるためにその情報を利用しようとしている」と恐れることなく、お互いに誠実でなければなりません。知ってるでしょ? 反作用。そして、人々は司祭や誰かに、自分の罪を告白することを恐ろしく思っていると私たちは考えています。 ご存じの通り、同じ種類の恐れです。もし私たちがお互いの重荷を安全に分かち合うことができないなら、私たちはまず自分の平安を見つけなければなりません。
クレア:はい、私の意見では、かなり良い締めくくりだと思います。 私たちは分別に関する主の心を皆さんと分かち合い、皆さんを励ますことを望んでいました。 そして、主がながねんにわたり、私たちに話しかけたいとき、あるいは私たちの中に、慣れ親しんだ霊が宿ることを許可したときに、主がそれを検証してくださった、いくつかの指針をお伝えしました。
エゼキエル: 分別のために助けを求めることを恐れないでください。私の話は、誰も一人ではないということです。私が言っているのは、男性も女性も、みんなを含んでいることを知っておいてください。他の人ために、あなたのために、そしてあなたが置かれている状況のために、祈るように頼んでください。あなたは彼らにすべての詳細を伝える必要はありません。 時には、あなたが彼らに詳細を伝えない方がずっと良い場合もあります。
クレア:そこで私は、少し時間を取って、私たちが分別のために使っている他のものを皆さんにお伝えたいと思いました。何よりもまず、聖書です。どんな聖書でも効果的です。しかし、皆さんに確実に語り、真実の意味を伝え、簡単に理解できるものであればよいのです。時々私は「The Ways of the Desert Fathers」という本を読むことがありますが、この本には古代の知恵、古代クリスチャンの知恵が書かれています。初期のクリスチャンと一緒に祈るようになりますね。
私が人々を励ますために引用するもう一人は、Laurie Beth Jonesです。ジョーンズはクリスチャンの動機づけに関するいくつかの本を書いています。ジョーンズは、イエスの人生から例を挙げ、私たちが生きている世界の状況に適用しています。私はまた、リック・ジョイナー(Rick Joyner)が好きで、時々彼の本の一つからヒントを得ます。 時々、いくつかの場所を選んで、少し色を付けておくのは良いことです。 あなたはいつも聖書が白黒であることを望まないでしょう。 時々、あなたは他の人の視点を利用することができます。 それはあなたが何かを別の視点から見るのを助けてくれます。そして、ここに私が話した「聖書の約束」があります。この本は、聖書そのままですが、テーマ別に整理して作った本です。実り、神の愛、隣人愛、嘘、嫉妬、欲望、永遠の命など、テーマ別に整理されています。この本は本当に本当に役に立つのですが、これは聖書の言葉通りである上に、それぞれ異なるテーマとタイトル別に分けられているからです。
これは私たちのカードのコレクションの一つです。 箱と、その中のリストカードが集まった大きなものです!二重のサイズです。 しかし、私たちは一つのカードを作り、時には色を塗ったり、他の作業をしたりします。 カードは、聖書の言葉そのまま、または私たちが祈りの中で受け取った言葉や、誰かが私たちに与えた預言を書き留めたものです。私たちはこれをカードに書き留めて、ここに保管します。 そして、私たちが主と一致していないと感じる憂鬱で、落ち込んだり、不安な日に、この小さな箱に行き、悟りを得るために3枚のカードを選びます。 すると、あなたは聖霊様がそのカードを選んでくださったことに驚くでしょう。つまり、聖霊様がまさにそこに、あなたと一緒におられるからです。あなたは主を喜ばせようとしていますから、主を愛し、人生を完全に主に捧げようとしていますから、魚を求めたのに、主が蛇を与えることができますか?
主から声を聞いたと主張する多くの人々の問題は、彼らが外的な証拠を持っていないということです。 彼らは証拠を持っていない場合がよくあります。 証明できる証拠を持っている人は少なく、彼らは自分の言葉を擁護しようとして、彼らの牧師の言葉のようなことを言及します。もちろん、私の夫と私がここで使う言葉も言及しています。しかし、もしあなたが夫がいなかったり、教会に本当に信頼できる人がいない場合には、聖書と、あなたの小さな本である「聖書の約束」や、あなた自分で作った「手作り聖書の約束」を使ってください。これらは私が使っていた手作りの本で、その本にはそれぞれ違う、小さな読み物が書かれています。小さな聖書の箇所です。 ここにはこう書かれていますね。 「わたしはすべての山に道をひらき、広い道を高く通す。」(イザヤ書49章11節)
ご存知のように、このようなことは、あなたたちが大きな挑戦に直面しているときに、とてもとても励まし、希望を与えます。この言葉は、あなたたちが正しい道を歩んでいることを確認するものです。もし多くの人がこのような分別の方法を実行する意志を持っていたら、彼らはそれほど苦痛に陥ることはなかったと思います。 主は、彼らが瞑想し、自分の状況に適用できる言葉を与え、人々が自分の行動を、より簡単に抑えることができるようにされたのでしょう。 そして、人々が望む目標に到達し、「うわー、これ以上良くすることはできません、主よ、ありがとうございます」と言うとき、それは確信の言葉を使った、最も驚くべき結果です。 主がその本のこの部分を読ませました。 「これは本当に聞く必要があったものです。」
ですから、私は皆さんが継続的にそうして、主の御声を聞き、その御言葉に従うことを願っています。それは一つの技術だからです。 タイピングや運転と同じように、これは一つの技術です。学ぶには時間がかかりますが、失敗したとしても、あきらめないでください。あきらめることは最も悪いことであり、それは悪魔が望んでいることです。悪魔は、人々が自分の人生で神様の声をはっきりと見分けることを望んでいません。 悪魔は混乱させることを望んでいます。 ですから、あきらめないでください。
神様があなたを祝福してくださいます。