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神様の愛

645. 低くされた姿で来なさい

低くされた姿で来なさい

2016年9月11日

なんと恵み深い、私たちの主イエス様なのでしょう、Heartdwellersの皆さん。主は、花嫁を召しの満たしへと導くために、何も惜しまれません。主は、すべての点において真実であられながらも優しく、その方の道は完璧です。

今日、祈りのうちに、私はとても特別な恵みを受けました。私は、自分の真の姿を見始めました。主の前で恐ろしいほど卑しく、すべての恵みと徳に欠けているのです。このような考えに浸っていることは、圧倒的な経験でしたが、同時に甘美なものでした。私は、胸が張り裂けるようなみすぼらしさの中で、自分の真の姿を見るという恵みを受けていると、感じました。その思いは、本当に深く心に響きました。

主の前で、私は泣くしかありませんでした。なぜなら、主は純粋な栄光であられるからです。主は、人間の想像を超える偉大さであり、私の悲惨さを見ながら、私はあまりにも小さく感じられました。私は、泣き止むことができませんでした。「どうしてこのような私を、主はこれほど愛してくださるのでしょうか?私が主の前に、どうして出ることができるでしょうか?ひざまずかずに、どうして出ることができるでしょうか?私がどうして、主を見つめることができるでしょうか?」

しかし、私はこのようなことを考えながらも、一方ではこのように考えました。「イエス様がこの地に来られた時、その方は人として人々と共に歩み、平凡な人のように人々と交わりをされた。主を見ることができ、その方と対話できるこの恵みは、主の神性のもう一つの側面だ、これがその方がこの地に来られた理由だ。純潔な親密さへの招き、謙虚で柔和な心で主のようになるための招きだ。私たちが主の人間的な側面を経験しなければ、私たちは、どのようにしてその方のようになれるだろうか?」

ある人々は、私たちが主の花嫁として、主の臨在の中にいることを、神への冒瀆だと考えます。しかし、私たちが注目すべきことは、私たちがその神性にふさわしいかどうかについてではなく、主がその被造物と交わりたいと望んでおられる、主の愛についてです。

「主よ、私は主の心の中で生きない限り、決してもっと近くに行くことはできないようです。」

主が、おっしゃり始めました。「それが私の考えを全て込めたものだ。歩き回る私になることだ。相変わらず、小さいあなたの姿のままでね。」

「ああ、イエス様、どのようにあなたに近づくことができるでしょうか?私は、あまりにも取るに足りない存在です。」

「あなたが自分を小さく見ることが嬉しい。クレア、私があなたをどれほど愛しているか、私があなたをどれほど必要としているか、あなたが知っているから、そのような考えをする。私はあなたの愛情、あなたの礼拝、あなたの同行が必要だ。あなたが卑しいとしても、それは私にとって慰めになる。あなたが大きな海の中の、小さな一滴に過ぎなくても、あなたは私の存在の一滴だ。たとえあなたが自分自身を、あまりにもよく知っているとしても、あなたが私のもとに来なければ、私はあなたを恋しく思うだろう。」

「エステルが王の前に出ることを許されたように、私はあなたの卑しさ、不足、小ささの中にあるあなたを、あまりにも愛している。私はあなたから遠くにいることはできず、さらに私たちが共に過ごす時間を渇望する。」

「ああ、イエス様、これがあなたなのですか?」明らかに、その方のように感じられ、聞こえました。しかし、あまりにも甘美だったので、信じがたかったです。

その瞬間、主の姿が見えました。「あなたはどう思うか?」

主の頬を伝って、涙が一粒流れ落ちました。「あなたの不信で、私を傷つけないでほしい。私は、あなたが自分自身をどう見ているか知っている。それは良いことで、実際に正確だ。しかし、それは私には重要ではない。私にとって重要なのは、あなたが私のものになることを望むのと同じくらい、私もあなたのものになることを望んでいるということなのだ。」

「誰がもっと豊かだと思うか?すべての栄光の中にいる女王だろうか?それとも灰の中で慈悲を叫ぶ、小さなシンデレラだろうか?あなたが徳において、極度の卑しさを認識することが、私の最も優しい愛情を引き寄せ、私の花嫁としてふさわしい品位に至るように、あなたを引き上げる資格を与えるのだ。なぜなら私は、あなたが差し出がましい行動をしないことを知っているからだ。」

「今夜、私のHeartdwellersたちと本当に話したいのが、まさにこれだ。ちなみに、Heartdwellersがどういう意味か分からないなら、それは私の心の中で生き、息をし、私の考え、私の感情、私の願いに気づき、受け止めることが人生の喜びである人々のことを言う。これが全てだ。」

「この二年間、私はあなたたちに、小さくなった姿、隠された姿、そしてこの世の誰よりも私との同行を渇望する者たちを愛していることを、非常に明確にするために、大きな努力を傾けてきた。私は雑巾を持った女性、貧しく謙虚な配管工、大工、街の清掃員、羊飼いたちを愛する。私があなたたちを、どうすれば説得できるだろうか?」

「あなたたちは私の愛情を、働いて得られるものではない。あなたたちへの私の愛情は、私の本性だ。私はあなたたち一人一人を、最も優しい眼差しで見つめている。私は特に、自らの目に小さく見える魂たちに、大きな喜びを感じる。私があなたたちの前で、その手本を生きて見せなかったか?私は人々の目の前ですぐに復活することもできたし、私は数千数万の天使の軍隊を呼び、私を十字架から栄光のうちに解放させることもできた。」

「しかし、私はそうする代わりに、二人の盗人の間で恥ずべき死を迎え、素朴な人間たちによって降ろされ、洗われ、油を塗られ、墓に置かれることを選んだ。墓を塞いだ石が所定の場所に転がされた時、彼らが感じたであろう胸が張り裂けるような最後の感情は、どのようなものだっただろうか?」

「人類のすべての希望が消え去り、沈鬱な墓の後ろの冷たい石に封印されて消えてしまった、地球の歴史上最も暗い瞬間だった。注目すべきことはなかった、ただ冷たく乾いた岩が、世の光を消していただけだ。」

「信仰がなかった者たちは、私が復活することを理解できなかった。むしろ彼らは、メシアへの希望は無駄になったと感じていた。そして、もし誰かが本当にメシアであったなら、それはまさに私であったはずだという、彼らの信仰は絶望へと変わってしまった。そうして、私は彼らの目の前で死んだ。彼らの目の前に残ったものは何だったか。衝撃、落胆、混乱、苦痛、絶望だった。」

「彼らはクレアや他のHeartdwellerたちと変わらなかった。彼らは皆、嘘を言う悪魔たちによって植え付けられた疑いと、恐れと、混乱で満ちていた。彼らは皆、完璧な信仰、完璧な忠実さ、私が生きていた時に示した完璧さには及ばなかった。それにもかかわらず、彼らは、私が彼らに言ったことが事実かもしれないという希望にすがりついた。それが信じがたいことであっても、そうしたのだ。」

「私は自分自身をふさわしいと思う者たちを探さない。私は自分が何者でもないことを知っている者たちを探している。私は彼らに私の栄光の冠をかぶせるだろう。私にふさわしくないと疑うあなたたちの中の一部の者たちは、その考えをやめてほしい。資格を得ようとせず、ふさわしくなるまで待たず、王にふさわしい何かを成し遂げようとしないでほしい。ただ、あなたたちの存在の極度の卑しさをもって心を引き裂き、その心を開きさえすればよい。これこそ、私の栄光があなたたちの心の中で爆発してあなたたちを癒し、私と間もなく結婚する花嫁にふさわしい品位に至らせるのだ。」

「おお、あなたたちの卑しさと不十分さはどれほど高貴か!あなたたちの小ささが、私にとってどれほど完璧か見えないのか。あなたたちは何について、自分自身の手柄にすることができるだろうか。世俗的な資格が足りないか。その方が良い!世の目で見て偉大な者たちは、私の前で自分がどれほど卑しいかを悟るのに時間がより長くかかるが、それにもかかわらず、私の前にいる彼らの価値は少しも減らない。」

「理解できないのか。あなたの存在の本質、あなた自身、あなたの魂は私から来た。そうだ、あなたは私の姿に似せて造られた。霊、魂、肉。外見だけでなく、あなたの本性の様々な側面を形作る要素の一つひとつが、全て私から来たのだ。私が宿るあなたたちの存在は、なんと愛おしいことか!華やかな宮殿のホールではなく、他の全てを捨ててただ私だけを抱きしめたあなたたちの心が、どれほど、どれほど愛おしいことか!」

「あなたたちの心は、世に属するもの、その価値、常に存在する人間的な意見、非難や判断から清められなければならない。これらは、あなたたちの全ての行動に大きな影響を及ぼす。この全てが空にされなければならない。その後、私たちは謙遜についての作業を始めることができる。謙遜を得ることは、どれほど大変な旅路か!あなたたちの魂から自我価値の虚像を取り除くこの仕事は、どれほど危険で恐ろしいか分からない。あなたたちが私の鏡に映る自分自身の姿を見るまでには、まるで永遠の時間がかかるように見えるかもしれない。自分自身を何者でもないと見ること、忘れ去られていく存在だと思っていたが恵みによって救われたと見ること、このようなことが世の目で見てどれほど危険なことか分からない。真理に対して、世は完全にひっくり返って逆さまになっており、甚だしきは内と外が入れ替わっているというのに、この事実を理解することがどれほど難しいことか分からない。これは、魂たちに非常に幼い頃から、間違ったことを教えるからだ。」

「この複雑な内的構造を取り除き、その内面を私が考えるあなたたちの無限の価値で置き換えるためには、私を知っていく時間、成熟するための時間、すなわち多くの時間が必要だ。私の大切な愛する者たちよ、あなたたちの最も安全な心の態度は、まるでラッシュアワーの高速道路を渡ろうとする、とても小さな子供の姿だ。あなたたちの唯一の答えは、『お父さん、助けてください。』と叫ぶことだけだ。私の前にそのような姿でいる一人の魂を見る時、私がどれほど大きな喜びを感じるか知っているか。」

「雪に覆われた山頂は、見るには壮麗だが、雪が溶けると水は下に流れ落ち、最も低い所に至って多くの実を結ぶ。だから、高い所は荒涼としているが、低い谷は実が豊かだ。このように、あなたたちが低くなればなるほど、あなたたちはより多くの実を結ぶことになるだろう。」

「この言葉を言う理由は、あなたたちの多くが、私がどのようにあなたたちを用いることができるかについて、疑いを持っているからだ。今あなたたちに言いたいことは、あなたたちの目に自分たちが取るに足らないと見え、真に自分が最も低い者だと信じれば信じるほど、あなた自身という贈り物が私にとってさらに貴重だということだ。誰もあなたたちの行いをあなた自身がしたことだとは見ないだろうし、それがまさに私がしたことだと、人々ははっきりと分かるだろう。」

「私の愛する者たちよ、あなたたちが才能も足りず、知能も足りず、経験も足りず、人々の前での地位も足りないからといって、落胆しないでほしい。これら全ては、私にとって役に立たないものだ。」

(イザヤ書 66章1~2節) 主はこう言われる。天はわたしの王座、地はわが足台。あなたたちはどこに、わたしのために神殿を建てうるか。何がわたしの安息の場となりうるか。これらはすべて、わたしの手が造り、これらはすべて、それゆえに存在すると、主は言われる。わたしが顧みるのは、苦しむ人、霊の砕かれた人、わたしの言葉におののく人。