505. 主の御声を聞くのに役立つ方法と、臨在祈り(パート2)
主の御声を聞くのに役立つ方法と、聞く祈り(パート2)
2015年8月20日
Mark Virkler, Communion With God Ministry
Mark Virklerの教え、パート2です。私の経験とマークの文章を、できるだけ分離しようと努力していますが、時々、表現が不自然になることがあります。放送をお聞きになる際、私が少し長く止まるようでしたら、私の言葉からマークの文章へ、あるいはその逆へと変更している過程だと考えてください。
マークの文章を続けます。
「ダビデは神様が常に彼と共におられることを知っていたため、ダビデは、彼の霊によって心の目を開き、その真理を見ることを決心したのです。この決定と努力は、彼の一生涯続きました。そして、そうすることが、自身の信仰を強くすることを知りました。」
「通常私たちは、『一度見ることは1000の言葉より良い』と言います。場面と絵は心の言語だと私は信じています。イエス様も教えられた時、継続して絵と場面を使用していたことを私たちは知っています。(マタイによる福音書 13章34節) イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ、たとえを用いないでは何も語られなかった。私の心の言語であるイメージで話すと、それが私を速やかに私の考えから離れて、霊的な世界へ移動させます。」
この部分に対する私の洞察はこのようです。皆さんお一人おひとりは、ご自身の理性、知的思考、直観力、心の考えを持っています。ここでマークが言っているのは、彼の霊的な心の中の思考領域へと移動することです。敬虔で神聖な場面の想像を通して、祈ることを言っています。イメージと場面で想像することは、神様が私たちにくださったもので、くださった理由は、私たちがそれを利用して聖なる目的を果たすためです。敵はこれを不敬虔で恐ろしい目的のために使いますね。しかし、イメージと場面そのものが悪いのではありません。単に敵がこれを変質させ、神様の御心に反する方向で使用するのですね。
「それで私もダビデ王がしたことを真似ようと決心し、敬虔な場面の想像を発展させていきました。私はこれを『神様が語られることをイメージ化すること』と表現します。」
マークは、このような方法でコミュニケーションをイメージ化するのです。ご理解いただけましたか。主があることをおっしゃいながら、「こういう風だ」と説明なさると、彼はそれを絵や場面としてイメージ化するのです。
「もし私が想像するに、イエス様がわたしと共にいらっしゃらないというイメージが描かれると、それは明らかに偽りをイメージ化したものです。愚かな想像なのです。私は聖書的ではないことを想像したい、いかなる理由もありません。私は常にイエス様が私の右にいてくださるのを見ます。神様が心の目を開いてくださるよう祈った使徒パウロの祈りも同じ文脈です。(エフェソの信徒への手紙 1章17~18節) どうか、わたしたちの主イエス․キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、 心の目を開いてくださるように。そして私は聖霊様から来る一つの流れに周波数を固定します。すると、その方は生き生きとした場面を持って来られます。この時、私は敬虔な場面の想像からさらに一歩進んで、聖なるビジョン(幻)へと入ることを経験します。」
マークは今、私たちがこれまで皆さんに教えようとしてきたことを教えています。もしあなたが主と共におられたイメージがあるなら、最後の時間と場所をイメージ化してみましょう。大抵、私の場合は舞踏会場のホールです。私はその場所を再びイメージ化してみます。すると、主はそこに常におられます。私はその方へと近づいていきます。想像とイメージでですね。このビジョンを通して主は応えられます。すると私はそれを記録して放送をするのです。皆さんもこのようなアプローチをして、この方向へと進むことができます。このように集中すると、主はそこでお応えになるでしょう。
「これは素晴らしいことで、あまりに単純なので、子供がするように簡単です。そして私たちは幼子のように、ならなければなりません。主もおっしゃいました。あなたたちが神の国に入るためには、幼子のようにならなければならないと。6歳になる私の孫娘も、このような方法で祈りをします。それを書き留めて、時々私と分かち合います。彼女の両側で彼女を守っている天使を見ます。あなたの幼い子供がこの4つの鍵を使うのを見ると、あなたよりももっと上手にできることを発見するでしょう。子供たちにさせてみてください。そして、確認してみてください。」
「創世記からヨハネの黙示録まで、神様は夢とビジョンをくださいました。そして、特別にこのようにおっしゃいました。(使徒言行録 2章17節) 『神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。私たちが見ることを望むなら、私たちは必ず見なければなりません。ダニエルは心の中で幻を見て、このように言いました。『わたしは見ていた、』『わたしは見続けた、』『わたしは見続けた、』(ダニエル書7章2節、9節、13節)」
「それで私は、私が見ることができない時、私が悔い改める必要があると感じます。そして、心の目を開き、主を見つめ始めます。」
付け加えると、まさにこの地点が、私たちの多くが不信の壁に閉じ込められる地点です。私たちはこの障壁を乗り越えなければなりません。この障壁を乗り越えられるよう、知恵と自信を求めてください。私たちは心の目をイメージを通して主に固定し、主が次を続けてくださるように許さなければなりません。
「私は祈る時、イエス様を心の目で見つけます。そして、主が私におっしゃる時、見たり聞いたりします。その方の心の中にあることを語ったり、行ったりします。多くのクリスチャンがこの事実を知るでしょう。もし彼らがただ見るだけならば、そこから場面の流れが出てくるのを見ることになり、同じ方法で考えの流れが出てくるのを受け取るでしょう。」
OK。今、マークがとても美しいコンセプトについて分かち合いました。私が皆さんと分かち合いたい内容です。私たちの心の中に浮かぶ考えの流れを認識することに関するものです。私たちはその考えの性質によって、その根源がどこから来るのかを分別できます。もし恐れや懸念を引き起こすなら、それは悪魔たちから来るものです。しかし平和と知恵と善い実をもたらすものであれば、それは主から来るものです。このような方法で、私たちはイメージの流れを見ることができます。私たちはイメージの流れを見るでしょうし、それは善く、聖なるものであり、私たちを主の臨在の中へと導くでしょう。例えば、ある晩、祈っている時、雲と天使たちを見ました。天使たちは天国の舞踏会の大ホールを支えていました。そのホールの上で、私はイエス様と踊っている場面を見ました。この場面は、私が自分で考えた場面ではありません。あなたが何かを考える時、それが自分の内面から来たものではなく、外部から来たものだと感じるなら、それは神様から来るものです。なぜなら、このようなイメージの流れは、一般的な人の考えの流れとは異なるからです。このように、私たちはイメージの流れを見るでしょう。そのイメージは、皆さんを主のビジョンへと招く招待状なのです。まるで考えの流れが、主との対話に入れるように招く招待状であるかのようにです。
「イエス様はインマヌエルの神様です。私たちと共におられます(マタイによる福音書1章23節)。これはとても単純な真理です。キリストがあなたと共におられるので、あなたは彼をご覧になることができます。」
事実です。主は私たちの中で生きておられます。主は私たちの内に住まいを造られたのです。
「実際に、このような方法でビジョンと幻を見るのは、あまりにも簡単なことです。あまりにも簡単なので、このビジョンが自分自身で作り出したものではないかと、拒もうとする誘惑を、軽く退けることができるほど簡単なことなのです。」
天使が護衛している舞踏会場のホールについてのビジョンのように、ただ簡単なことです。他の人々も簡単にこのようなイメージを受けます。皆さんも試してみてください。このようなイメージの流れが続くように、許してください。私が皆さんと分かち合いたいことはこれです。私が主の御声を聞く時、非常に多く経験するのは、対話を始める方は主でいらっしゃるということです。そして、私はその御言葉を聞くことを許す前に分別を試みます。しかし時々私はただ聞きます。それでも、私はその方が主でいらっしゃることを知るのです。時々、何か抵抗を感じる時があります。不信の霊が攻撃する時です。私はその時、戦わなければなりません。主の御言葉を聞くために戦わなければならない時なのです。そのような時は、その方がお話しになる間、不信の霊と戦いを繰り広げなければなりません。全てを聞き終えると、私は振り返って再びそれらの御言葉を読みます。それらが全て天のものであると感じる時、私の全ての疑いは消え去ります。要点は、私が主の御声を聞く時、これを妨害する攻撃があるということです。もし皆さんが聞いていて抵抗を感じたり、「ああ、これは神様であるはずがない、これは敵に違いない、それならどうすればいいのだ。」という考えが湧き上がる時も、驚かないでください。イメージが来続けるように、機会を与えてください。考えの流れが来るように、機会を与えてください。そのようなイメージや考えが、あまりにも簡単に来るとしても、それを自分自身から来ていると考えて、簡単に拒もうとしないでください。来るように、機会を与えてください。
「イメージの流れを記憶するように、執拗な努力を傾けてください。その内容を認識する時、すぐに信仰が皆さんの疑いを消し去るでしょう。」
マークは私たちが持つべきライフスタイルについて話を続けます。
「神様との継続的な交流から生じる命の能力について、イエス様は教えられました。イエス様ご自身も、父がなさることを見て、父がおっしゃることを聞いて、それを行い、話すとおっしゃいました。自分自身で何も行うことはない、と宣言されたのです。(ヨハネによる福音書 5章19~20節) そこで、イエスは彼らに言われた。「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。父は子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示されるからである。また、これらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あなたたちが驚くことになる。(ヨハネによる福音書 5章31節) 「もし、わたしが自分自身について証しをするなら、その証しは真実ではない。」
「イエス様がなさったように、あなたも神様から始まったもので日々の命を満たして生きることが可能でしょうか。可能です。これこそが、『主の内にとどまる命』なのです(ヨハネによる福音書15章)。イエス様に皆さんの視線を固定してください。幕は裂かれました。神様の臨在の中へとすぐに入ることができる道が開かれています。そして、その方があなたを近くに来るよう導いておられます(ルカによる福音書23章45節)。(ヘブライ人への手紙 10章19~20節) それで、兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。皆さんの心の目が開かれるように、私はお祈りいたします。あなたは、その方の幻やビジョンを見るでしょう。これは、皆さんに無料で与えられるその方の贈り物です。(使徒言行録 2章17節) 『神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。』」
ここでもう少し付け加えたいと思います。これは信仰の問題です。神様と私たちの間を隔てていた幕が裂けたことを完全に信じる信仰の問題です。神様は私たちがその方を見て聞けるように、道を作ってくださいました。ある人たちは旧約に戻ってこのように言います。『神はあなたに話さない、神は人に話さない。』それは旧約的な考え方であるだけです。イエス様が亡くなられた時、幕は引き裂かれ、全ての人々が聖なる世界の聖なるものに近づけるように、道を開いてくださったのです。皆さんはこの事実を人々に思い起こさせる必要があります。今は新約の時代なのです。これが主が私たちにしてくださったことです。天国を開いてくださり、神様と意思疎通できるようにしてくださったのです。
鍵 3:皆さんの祈りと神様からの応答を書き留めてください。これは神様の御声を聞くことで大きな自由を享受させてくれるでしょう。
これは事実です。私もたくさん書き留めました。最初から私は自分の考えや感情を書き記しました。そして主の御声と回答を聞いた時、私はそれが主から来たものであると分別することができました。私に平安を与えてくださったからです。もしその応答が嫉妬や恐れのようなものであったら、私はひどく混乱したでしょう。その時、私は新しい信者だったからです。私は敵を分別する方法を知りませんでした。分別のためには数年が必要でした。
「神様はハバククに、その幻を書き記せと言いました。(ハバクク書 2章2節) 主はわたしに答えて、言われた。「幻を書き記せ。走りながらでも読めるように、板の上にはっきりと記せ。この命令はハバククにだけ与えられているものではありません。聖書は個人の祈りと神様の応答について数多くの事例を記録しています。詩篇、数えきれないほどの預言者たち、ヨハネの黙示録がそうです。」
皆さんもご存じのように、多くの人々が天国に行って戻り、証しをするのを見ることができます。天国には本があり、この地上で起こった出来事を記録するものに満ちた本が描写されています。これらが全て記録なのです。
「私はこの過程を、『双方向の書き取り』と呼びます。この過程を通して、この御言葉が神様の内側から自然に湧き上がる考えの流れであるのか、そうでないのかを明確に分別するようになります。あまりに幻想的な清めの過程であることを発見します。なぜなら、かなり長い時間信仰を持って書き留めるので、これが神様であるということを単純に信じることができるようになるからです。」
ある人たちはただ一つの単語を受け取ることもあります。そして彼らはその単語によって幸せになります。ある人たちは長い文章、段落、本の分量ほどを受け取るでしょう。「双方向の書き取り」はより長いメッセージを生み出すことができる良い方法です。本当に良い方法です。
「私が神様から受け取ったものを信じるためには、必ず分別の試練の過程を経なければならないということを私は知っています。」
「しかし、この試練は疑いの過程を含みます。そしてその疑いは聖なる意思疎通を妨げます。ですから私は御言葉を受け取ろうと試みる時は試そうとはしません。(ヘブライ人への手紙 11章6節) 信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。書き取りをする時、私は信仰をもって受け入れられることを感じます。考えの流れが止まった時、私はテストし、聖書と一致しているかどうかを注意深く見張ることで分別することができるからです。(テサロニケの信徒への手紙一 5章21節) すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。」
この点では私のやり方とは少し違いますね。私は書き取りをする前にその霊を試します。マークは一度それを受け取った後、後で試しています。これは皆さんに任されています。皆さんが望む方法でやれば良いです。私は「聖書の約束」を使って分別します。私が「聖書の約束」を開いた時、聖霊に関するものを開くならば、この御言葉が主から来るものであると私は考えます。
「疑いを捨ててください。最初は皆さんは疑いに陥るかもしれませんが、疑いを投げ捨ててください。神様の御言葉と幻を記録することは聖書的なコンセプトであり、神様はご自分の子供たちに臨在され、語りかけられるという事実を思い起こしてください。聖書ではサタンは絶えず疑いを呼び起こします。『本当に神があなたに話したのか?』(創世記 3章1節) 主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」」
否定的に話したがる人々は、このように言います。「クレア、本当に神があなたに話したの?」そして自分自身にこのように言います。「神様、あなたは本当に私に語りかけておられますか?」
「安息することを学んでください。私たちが働くのをやめ、神の安息に入る時、神様は私たちの中で自由に流れておられます。(ヘブライ人への手紙 4章10節) なぜなら、神の安息にあずかった者は、神が御業を終えて休まれたように、自分の業を終えて休んだからです。楽な姿勢で休み、ボールペンと紙、あるいはコンピューターやiPadを準備し、微笑み、賛美と礼拝によって皆さんの関心を主に合わせてください。主の御顔を求めてください。」
この方法はまさに私がしていることです。皆さんのために、私が主からメッセージを受け取る前に、私はこのようにします。
「このように書き留めてください。『おはようございます、主よ!あなたを愛しています。私にお話しになることは何でしょうか?』そして静かになります。あなたの全ての視線を主に固定します。突然とても善い考えがあなたの内側から湧き上がってきます。それを疑わないでください。ただ書き留めてください。後で書き記したものを読む時、その内容が本当に驚くべきものであることを発見するでしょうし、真に皆さんが神様と対話したことについて驚くでしょう。」
確実です。私はこのようなことを、数えきれないほど多く経験しました。エゼキエルにも、このように言うことがあります。「ねえ、私は今、書き留めている途中です。これが主であることを信じるのに、多くの時間を費やしました。私は、止めるのが難しいでしょう。私は、与えられるもの全体をすべて書き留めるでしょう。」そして、私がその内容を確認した時、その内容は本当に驚くべきものでした。その根源は、本当に聖なるものです。私が書き留める時に、抵抗を感じることがあるのですが、それがどこから来るのか分からない時があります。しかし、後で確認すると、間違いなく正確に主であることが分かります。
鍵 4:目を強く引きつける御言葉を通して、神様の御声を聞いてください。
「聖書を通して神様を知ることは、あなたの心の中で聞こえる、その方の御声を聞くための命の基礎です。あなたは必ず、神様の記された御言葉である聖書に、従順であり、知ることに完全に献身していなければなりません。(ヨシュア記 1章8節) この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。聖書の御言葉を持って祈りをする時、ある箇所が、私たちの目を強く引きつけることを経験します。これは、神様が私たちにおっしゃる、もう一つの強力な方法です。」
この部分は、「レーマの御言葉」として、皆さんにご紹介した内容と同じです。「聖書の約束」を持って、皆さんにお分かちしたことと同じです。二ページほどを読みながら、主の憩いに入っていく時、ある箇所が、本当に目を強く引きつけるようになることを感じるでしょう。まさにその瞬間、神様の焦点が皆さんの心の中に入ってくるのです。
「信頼できる霊的なカウンセラーと共に、安全に成長していくことは、とても重要なことです。書き留めた御言葉の内容で、何か重要な方向へ進まなければならない状況が生じたら、まずあなたのカウンセラーから確認を受けることが必要です。」
私もこの内容に同意します。カウンセラーを探すことは、骨の折れることであり、とても落胆することですが、必要です。
「聖書は語っています。二、三人の証人の言葉で、確定するようにとあります。(コリントの信徒への手紙二 13章1節) わたしがあなたがたのところに行くのは、これで三度目です。すべてのことは、二人ないし三人の証人の口によって確定されるべきです。」
私たちは、「聖書の約束」を使って、二、三度御言葉を選びます。聖霊様が二、三度開いて、確認してくださることを許します。
ここまでが、マークが分かち合おうとしている内容のすべてです。この部分は除外しました。「もし皆さんが、この四つの鍵をすべてお使いになるならば、この鍵は皆さんのために効果的に働くでしょうし、皆さんは神様の御声を聞くことになるでしょう。これを保証します。この鍵をすべてお使いになってください。そして、どのような結果があるか確認なさってください。」この部分は除外しました。彼が運営する学位課程、CD、DVD、MP3を通して、この方法を学び、試すなら、100%確実に皆さんは神様から御声を聞くことができると保証します。
マークは、世界中の何千人もの人々から成功的な結果を確認したため、この点において確信を持っています。世界中の人々が参加してこの講義を聞き、また自国でこのプログラムを運営するようになり、人々は確実に神様から御声を聞くことになります。
私がこのメッセージに関連する放送を開始する時、皆さんにした言葉があります。もしあなたが、「私たちは神様から御声を聞くことはできない」と言うならば、あなたは今、チャンネルを間違って選択しているのです。なぜなら、マークは、あなたが神様から御声を聞くことができると確信させてくれているからです。
主は今日、皆さんを祝福なさいます。私たちのウェブサイトに、このPDFを載せています。Mark Virklerと「Communion with God Ministries」から得たPDFです。皆さんは、この内容を実践することができます。マークは、本とCDとテープとYouTubeと、他のすべての形で教えています。この方の教えに耳を傾けることを強くお勧めします。主と皆さんが交わりを持つのに、明確に助けとなるでしょう。
皆さん全員を祝福します。主が皆さんの目と耳を開いてくださり、皆さんの人生にその方の臨在が満ちるようお祈りいたします。
(次の文章は、マークの広告の文章にある内容です。2015年8月のPDFページに、マークの写真と共にアップロードしてあります。)
「もしあなたが、この四つの鍵を共にお使いになるならば、あなたは神様の御声を聞くことになるでしょうと、私たちは保証します。この鍵をすべてお使いになってください。そして、結果がどのようなものであるか確認なさってください。あなたが書き留める時、聞くと良い音楽を無料でダウンロードすることができます。Cwgministries.org/galilee。音楽の最初の部分は、ガリラヤの海で皆さんとイエス様が共に歩くイメージへと導きます。そして、四つの鍵すべてを使用するように案内します。皆さんがぜひ試してみることをお勧めします。一日の中で涼しい日に、楽園で主と共に歩くあなたは、回復を経験することになるでしょう。あなたは、私たちの主、すなわち救い主であるイエス・キリストと、個人的な親密な関係の満たされることを、経験することになるでしょう。神様との交感は、あなたの人生の中に深く染み込み、癒しの光線があなたの深く深い場所を撫でるでしょう。」
「もっと深く進んでください。この主題についてきちんと学びたいなら、Cwgministries.orgを訪れて、無料で資料をダウンロードしてください。神様の御声を聞くことに関する本、CD、DVD、MP3、動画シリーズが準備されています。」