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524. ぶどう畑の茨の木、否定的な心は霊的ならい病

ぶどう畑の茨の木、否定的な心は霊的ならい病

2016年10月28日

私たちの中にある毒性を持つ習慣を、主は変え、知恵と喜びのある生活へと導いてくださいます、アーメン。

主の懐にいらっしゃる愛する皆さん、否定的な感情と思考が持っている力について、いくら強調しても、しすぎることはないようです。この霊は、とても静かに染み込み、隅々にまで染み込むようです。これは、私たちの生活に与えられるあらゆる恵みに悪影響を及ぼします。私たちの健康、私たちの思考、私たちの感情、私たちの人間関係に悪影響を及ぼします。もし皆さんが、否定的な感情と思考の苦い種を持っているなら、皆さんには毎日毎日毒が染み込んでいるのです。この毒は、私たちの生活のあらゆる領域に毒の触手を伸ばし、悪い影響を与えます。

これは霊的な癌細胞です。すべての組織の隅々にまで浸透します。例えれば、癌細胞が私たちの胃に入ると、体の数多くの小さな分泌腺へと広がっていきます。肺、肝臓、膵臓、脳、骨と皮膚、脚、足、首、背中、腕と手へと広がるように、否定的な感情と思考の苦い種は、霊的、肉体的、感情的な体が、完全に毒で満たされるまで入り込みます。

聖書にも記されていませんか。

(箴言 17章22節) 喜びを抱く心はからだを養うが、霊が沈みこんでいると骨まで枯れる。

私たちの体で最も重要な部分の一つである骨髄を見てみましょう。骨髄は血液細胞を作り出します。つまり、命の非常に重要な核なのに、否定的な感情と思考である悩みの影響を受けます。

私たちが長く生きれば生きるほど、これらの否定的なものが、より多く私たちの存在に入り込みます。私は個人的に確信していることがあります。高齢になると、これらの否定的なものが多く蓄積され、それが全身に毒を広げ、私たちから命に関わるものを吸い取ると信じています。まるで癌細胞が私たちの体の中で成長する時に、私たちの健康に必要な良い栄養分を奪っていくのと同じです。

このような致命的なものに対する治療法を、主がお持ちになり、教えてくださるのですから、本当に主へ感謝いたします。治療法は「喜ぶ心」です。この喜びは、感謝する心がなければ不可能です。

これは現代において、超自然的なものとなります。あらゆる種類の試しを経験している私たちは、私たちが直面している試しに関連する新しい方法を発見しなければなりません。なぜなら、古い方法は私たちにとって毒となるからです。

私たちは学んでいます。否定的な感情と思考の苦い種は、私たちが腹を立てる度に、我慢できなくなる度に、いら立つ度に、何かを行おうとして反対にぶつかる度に、判断する度に、この種は私たちの心に蒔かれます。すべての否定的な感情が、私たちの心の中にこの種を蒔きます。そして悪魔がその種と共に侵入します。そして苦い根が張られ、命に関わる善いものの息の根を止めます。主の恵みと私たちの信仰、主の光は、この苦い種と根によって侵食されます。

このようなことは、私たちの同意と共に即座に起こります!まさにこの理由のために、悪魔たちが争いを持って私たちを訪れる時、その攻撃がなぜそれほど効果的なのかを説明しています。私たちがいら立ちで反応するやいなや、否定的な感情と思考の苦い種は、悪魔たちによって私たちの心に蒔かれ、豊かな悪の肥料と共にそれは根を張り、成長します。

私たちが一度この種の侵入を許した時、すぐに悔い改め、主の恵みを求めて、その種が消え去るように嘆願できなければ、すでに手遅れになります。言い換えれば、その場で私たちは立ち止まり、私たちの顔を主に向けて懇願しなければなりません。「おお、主よ!申し訳ありません!私をお許しください。どうかこの悪から私を救い出し、この種を私の心から取り除いてください。」

もし私たちがその種が私たちの心の中に落ちるのを許してしまったなら、すでに私たちは感染しており、私たちは衰弱し始めたのです。否定的な思考が二倍、三倍と増え、私たちがしていたことに、もはや集中できない状況に至ります。時計の秒針が進むと同時に、私たちの怒りが成長しているからです。

私たちがこのような否定的な思考を初めて抱いた時、その時すでに、私たちは否定的な感情と思考を引き起こす悪魔たちによって感染しており、種は蒔かれているのです。その種は本当に急速に成長し、私たちの命、霊感、健康、聡明な思考、希望的な感情などの息の根をきつく止めます。そして、私たちがその否定的な感情と思考を心の中で弄んでいると、私たちに関わるすべての善いものが、その善意を失っていくでしょう。

私はこのような過ちを犯し、今日主へお祈りを捧げる時、このように祈り始めました。「主よ、私の否定的な心をお許しください。私のいら立ちが喜びと感謝に変えられるよう、助けてください。どうか私を悪魔たち、彼らの働き、否定的な感情の種と根から救い出してください。どうか主の血で私を清めて洗い流し、不当なすべてのものをきれいに洗い流してください。」

私がこのお祈りを捧げる前に、私は怒り、赦さず、腹を立て、我慢できず、不平を言った出来事を思い起こしました。聖霊様に私の罪を示していただくよう、懇願しなければなりませんでした。

この悪から解放されるための懇願をする前に、踏むべき三つの段階があります。(1) 自分の行動と感情と思考を見張ること。(2) 心の中で怒っている人を赦すこと。(3) 感謝できない態度を悔い改めること。このようにする理由は、この状況を主がお許しになったからなのです。そして、私たちの不満と不平と怒りは、私たちを怒らせた人を向かうのではなく、この状況をもたらされた神様を向かうからです。

そして、このように祈るべきです。「主よ、どうか私が心の中で憎んだ人々を癒してください。」

これを皆さんと分かち合っている今、私は自分自身の問題について、他の人ではなく自分自身に対して批判的な態度を持っていることに気づきます。これも良いことではありません。失敗したことや、他の人に対するごく小さな批判的な考えについて、自分自身に対する否定的な態度を取ることによって、自分を傷つけているのです。私は自分の考えがどこへ流れていくのか、捕まえようと努力します。

興味深いことに、今日私はミサを読んだのですが、そこには否定的な感情と判断がいかに深刻な問題であるかという内容でした。レビ記の御言葉です。

(レビ記 13章1~2節) 主はモーセとアロンに仰せになった。もし、皮膚に湿疹、斑点、疱疹が生じて、皮膚病の疑いがある場合、その人を祭司アロンのところか彼の家系の祭司の一人のところに連れて行く。

(レビ記 13章43~46節) 祭司はそれを調べ、皮膚に出る重い皮膚病に似た赤みがかった白い湿疹の症状が前頭部、あるいは後頭部に生じているならば、 その人は重い皮膚病にかかっており、汚れている。祭司はその人に「あなたは確かに汚れている」と言い渡す。頭部にこの症状が出ているからである。重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と呼ばわらねばならない。この症状があるかぎり、その人は汚れている。その人は独りで宿営の外に住まねばならない。

もし皆さんが重い皮膚病にかかったと仮定してみましょう。皆さんは朝起きて、裂かれた服を着なければならず、髪を梳ることもできず、口を常に手で覆わなければなりません。共同体から遠く離れて暮らさなければならず、重い皮膚病にかかった人以外、誰とも交わることはできません。皆さんが手を触れるものは、何であれ汚れたものになります。そのため、皆さんは何の所有物も持つことができなくなります。もし誰かが、皆さんが住む隔離された場所を訪ねてきたなら、皆さんはこう叫ばなければなりません。「汚れている、汚れている!」もし皆さんが人が住む場所に入っていくと、人々は私たちを避けて逃げ回ります。皆さんは叫び続けなければなりません。「汚れている!汚れている!」皆さんはこのように一生を生きなければなりません。重い皮膚病を治療する方法は、その当時ありませんでした。

(民数記 12章1~15節) ミリアムとアロンは、モーセがクシュの女性を妻にしていることで彼を非難し、「モーセはクシュの女を妻にしている」と言った。彼らは更に言った。「主はモーセを通してのみ語られるというのか。我々を通しても語られるのではないか。」主はこれを聞かれた。モーセという人はこの地上のだれにもまさって謙遜であった。主は直ちにモーセとアロンとミリアムに言われた。「あなたたちは三人とも、臨在の幕屋の前に出よ。」彼ら三人はそこに出た。主は雲の柱のうちにあって降り、幕屋の入り口に立ち、「アロン、ミリアム」と呼ばれた。二人が進み出ると、 主はこう言われた。「聞け、わたしの言葉を。あなたたちの間に預言者がいれば、主なるわたしは幻によって自らを示し、夢によって彼に語る。わたしの僕モーセはそうではない。彼はわたしの家の者すべてに信頼されている。口から口へ、わたしは彼と語り合う、あらわに、謎によらずに。主の姿を彼は仰ぎ見る。あなたたちは何故、畏れもせず、わたしの僕モーセを非難するのか。」 主は、彼らに対して憤り、去って行かれ、 雲は幕屋を離れた。そのとき、見よ、ミリアムは重い皮膚病にかかり、雪のように白くなっていた。アロンはミリアムの方を振り向いた。見よ、彼女は重い皮膚病にかかっていた。アロンはモーセに言った。「わが主よ。どうか、わたしたちが愚かにも犯した罪の罰をわたしたちに負わせないでください。どうか、彼女を、肉が半ば腐って母の胎から出て來た死者のようにしないでください。」 モーセは主に助けを求めて叫んだ。「神よ、どうか彼女をいやしてください。」 しかし主は、モーセに言われた。「父親が彼女の顔に唾したとしても、彼女は七日の間恥じて身を慎むではないか。ミリアムを七日の間宿営の外に隔離しなさい。その後、彼女は宿営に戻ることができる。」 ミリアムは宿営の外に七日の間隔離された。民は、彼女が戻るまで出発しなかった。

イスラエルの共同体の中で、女性として最も高い地位にいたミリアムは、一瞬にして汚れた者となり、共同体の外に隔離され、疎外された者となりました。これが否定的な感情と判断の力です。そして、これはあまりにも伝染性が強いものです。たった一つの考え、その一つが全てを食い尽くします。そのように病原菌が侵入し、私たちは感染します。まるで小さな蚊に一度刺されたことによって、マラリアがやって来て、閉鎖された部屋での一度の咳がエボラウイルスを伝播させるようにです。

これについて使徒ヤコブはこう言いました。

(ヤコブの手紙 1章26節) 自分は信心深い者だと思っても、舌を制することができず、自分の心を欺くならば、そのような人の信心は無意味です。

(ヤコブの手紙 3章5節) 同じように、舌は小さな器官ですが、大言壮語するのです。御覧なさい。どんなに小さな火でも大きい森を燃やしてしまう。

(ヤコブの手紙 3章6節) 舌は火です。舌は「不義の世界」です。わたしたちの体の器官の一つで、全身を汚し、移り変わる人生を焼き尽くし、自らも地獄の火によって燃やされます。

使徒ヤコブは、この全ての問題の根源について話しています。それは、すなわちサタンから来るものなのです。

(ヤコブの手紙 3章7~12節) あらゆる種類の獣や鳥、また這うものや海の生き物は、人間によって制御されていますし、これまでも制御されてきました。しかし、舌を制御できる人は一人もいません。舌は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています。わたしたちは舌で、父である主を賛美し、また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪います。同じ口から賛美と呪いが出て來るのです。わたしの兄弟たち、このようなことがあってはなりません。泉の同じ穴から、甘い水と苦い水がわき出るでしょうか。わたしの兄弟たち、いちじくの木がオリーブの実を結び、ぶどうの木がいちじくの実を結ぶことができるでしょうか。塩水が甘い水を作ることもできません。

主の懐におられる皆様に懇願いたします。どのような否定的な感情や思い、裁きも全て悔い改めましょう。そして、私のために祈ってください。私は自分の心の中に、この毒があるのを見ます。この否定的な感情と裁きの苦い種が、がんを刺激し、より大きな苦痛を与え、さらに広げます。この苦い種が、頭痛をさらに悪化させます。この苦い種が、皆さんの考えを歪ませ、正しく考えることができないようにします。皆さんの体、魂、霊は、この苦い種によって毒が広がるのです。まるで皆さんが重い皮膚病にかかった人のように広がります。皆さんの人生で望んでいた善いこと全てが、この苦い種によって大きく損なわれるのです。

イスラエルの民が紅海を渡った後、三日後にシュル荒れ野にいた時、マラの苦い水に出会いました。神様はモーセに、一本の木をその水に投げ入れれば、その水が甘くなるとおっしゃいました。

木にかけられたイエス様は、これと全く同じことをなさいます。私たちが赦され、新しい命が与えられ、否定的な感情と裁きの苦い毒から解放されること、この全てがイエス様の十字架の力を通して可能になります。

(ルカによる福音書 5章12~14節) イエスがある町におられたとき、そこに、全身重い皮膚病にかかった人がいた。この人はイエスを見てひれ伏し、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と願った。イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去った。イエスは厳しくお命じになった。「だれにも話してはいけない。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたとおりに清めの献げ物をし、人々に証明しなさい。」

主は、憐れみに満ちておられます。主のもとへ進み出て悔い改め、私たちを癒してくださるよう懇願しましょう。不平を言う習慣、否定的な感情と裁きの苦い種を心に抱く習慣、ぶつぶつ言う習慣を癒してくださり、私たちを導き、主が私たちをどのような状況へ導かれるとしても、その過程で学ぶ全ての教訓によって、主を賛美する新しい習慣へと変えてくださるようお祈りしましょう。特に、好ましくない環境へ私たちを連れて行かれる時、そこで私たちの聖なることを鍛えてくださることと、その過程が栄光から栄光へと至らせてくださることを心に留め、主にお祈りしましょう。まことに、私たちが不平を言うことは何一つありません。主が許されたこれら全てが、私たちに善をなすためです。

この時点で、私は主にお尋ねしました。何か他に付け加えてくださる御言葉がないか、尋ねました。

主はおっしゃいました。「ない。この教えはそれ自体で完全だ。あなたたちがこの言葉に本当に耳を傾け、決心してほしい。全ての不平、全ての怒り、全ての否定的な感情と思いの小さな種。これら全てを中断すると心に決めてほしい。尊い子供たちよ、確固たる決心をしてほしい。これがまさに、あなたたちの人生を苦しめるサタンの最初の侵入経路なのだ。サタンが問題を引き起こそうとする時、サタンはあなたたちの同意を得る。あなたたちが否定的な感情と思いを抱くようになれば、それが苦い種を蒔こうとするサタンに同意し、承認の判を押してやることに他ならない。あなたたちの心の美しい庭を損なおうとする悪魔に同意することになるのだ。」

「このような否定的な感情と裁きの苦い種が成長するようになれば、あなたたちの心の庭がどのような姿になるか、あなたたちは想像できるか?わたしは言うが、そこはもはや庭とは言えなくなる。いばらと野ばらのようなもので絡み合わされた場所となり、誰も通り抜けることができない場所となり、安らかに座って休むことすら考えることができず、花もなく、実もなく、毒を含んだ鋭いとげのある蔓に絡み合わされた、ひどく不快な場所となる。このような庭には憩いがあることもなく、栄養を供給する糧もない。地上に存在する地獄そのものになるだけだ。」

「まことに、これが、否定的な感情と裁きの苦い種を弄ぶ魂が持つ姿だ。命に属する全てが死を迎える。そこであなたたちが発見するのは、嫉妬、妬み、憎しみ、怒り、憂鬱、裁き、我慢できなさ、利己的な姿、残酷さ、報復、自惚れと高慢など、あらゆる種類の毒に満ちた闇の思いだけだ。私たちが知る全ての闇の思いだけが発見されるだけだ。」

「種が入ると、良い土を見つけ、そこにゆっくりと根を張る。最初は、ほとんどの魂が、自分の中にどのような否定的なものが染み込んでいるか気づかない。悪魔たちは、このように蒔かれた種が根を下ろし、あなたたちの人生の他の領域にまで成長するように見守っていて、魂を占領するために必要な機会を狙って待っている。その機会は、姦淫、あるいは子どもを失う衝撃、あるいは不当に職を失うこと、がんや深刻な病気の診断を受ける場合、偽りで攻撃される時、裏切りを経験する時になりうる。悪魔たちは、このようなことを良い機会として利用する。」

「そのようなことがあなたたちに発生すると、根は新しい枝を伸ばすようになり、あなたたちは憤りや怒りを感じるようになる。その時、あなたたちはその根に気づくことができるようになる。そう成長した根は、わたしの愛を否定させ、窒息させる。魂はますます否定的な感情と思いの苦い水で満たされ、硬く硬直していく。すると、ブドウ園の主人が生産していた貢ぎ物の良い実で満ちていたブドウ畑が変わり、もはや美味しいブドウを作ることができなくなる。なぜなら、ブドウの木に供給されていた善く健康的な全てが、いばらによって息をすることができなくなったからだ。」

「あなたたちが自ら、自分は良いブドウ畑にとどまっていて、良い実を結ぶことができるだろうと考えるが、実際は、地獄のいばらの中、すなわち否定的な心と思いの苦いとげの畑にあなたたちが住んでいるのだ。」

「私の愛する者たちよ、わたしのところに来なさい。このような全ての感情を告白し、私たち一緒に解決しよう。私たち一緒にブドウ園を清めて、いばらを愛の火で燃やし尽くそう。私たちが一緒に散歩できる、香り高く実り豊かな庭園に回復させ、新しい命を植え、新しい実を収穫できるよう、一緒に努力してみよう。」

「あなたたちがしようとするなら、私たちはこのことを共にできる。あなたたちは意志を持って実行に移さなければならず、どんな状況でもその意志を守らなければならない。私たちはこのことを共にできる。あなたたちは今日すぐに感謝と祝福の人生を始めることができる。あなたたちがわたしの内にいるとき、そしてわたしがあなたたちの内にいるとき、すべての物事が協力し合って善をなすという事実について、何の疑いも持たずに、このような感謝と祝福の人生を始めることができる。」