552. キリストの兵士、あるいは恋人
キリストの兵士、あるいは恋人
2016年1月5日
主の甘い臨在と共に、Heartdwellersの皆さんを祝福いたします。
今日は興味深い一日でした。私たちの友人の一人が、Anna Mendez Ferrellの著書「Regions of Captivity」について話してくれました。とても興味深い本だったので、私はこの本を確認し、もう少し深く掘り下げてみることにしました。Annaはとても興味深い救いの経験について説明しています。彼女は、幼少期の出来事が、どのように魂を分断させ、魂を苦痛の場所に縛りつけることができるのかについて、多くの話をしています。苦痛の場所、そこには悪魔たちが存在しています。
とても興味深い読書でしたが、内容が暗かったため、私の心は苦しみました。アンナが扱っているのは、本当に霊的に暗い事柄でした。しかし、彼女がこの働きを処理する方法が気に入りました。なぜなら彼女は、祈りや礼拝に非常に集中し、何をする前にも主と共に秘密の場所に入ることに忠実だったからです。そして彼女は、主が望んでおられることに従順でした。彼女が悪霊を追い出す働きをしていることは明らかです。
しかし、悪霊を追い出す働きは、私の主な働きではありません。時々悪霊を追い出す必要がある時があるため、私たちも悪霊を追い出す働きをすることもありますが、だからといって私が積極的にその働きを追い求めることはありません。
この本は私に影響を与え、それについて主と話をしました。私はこのように主に申し上げました。
「主よ、この本について何と言えばいいか分かりません。あまりにも強力なので、私の心がとても痛みます。イエス様、私はその暗い地域には行きたくありませんが、捕らわれている者たちを解放し、廃墟となった魂の家々を修復したいのです。主よ、私はどう考えるべきでしょうか?」
主は答えてくださいました。「平安を楽しみなさい。平安を、クレア。」 主はご自身の手を私の心臓の上に置かれ、おっしゃいました。「平安、あなたの苦しむ心と魂に平安があるように。平安、それらは闇の領域であり、恐ろしい場所だ。ほとんどの人は、敵が行った事柄によって、霊の満たされる中で活動することができていない。クレア、あなたもその中の一人だ。だから、その本の記述があなたをそう苦しませるのだ。」
「しかし主よ、エゼキエルもそうだったと知っています。」
「そうだ、あなたよりもはるかにひどい状態だった。それは真実だ。あなたは私がこの苦痛についてどう考えているか、知っているか?」
「私が主を知る限りでは、主は常に苦痛から善を引き出されますよね。しかし、このような敵の拷問を許し続けることが、主の御心なのでしょうか?」
「あなたは、どう思うか?」
「それは個々の魂が主へどれほど捧げようとするかによるのではないでしょうか?しかし主は、捕らわれている者たちを自由にされに来られたのではありませんでしたか?ああ、主よ、私は混乱しています。」
「混乱して考えるな、私は何も変えていない。私が許したことは、たとえそれが恐ろしく苦しいものであっても、それでも義の収穫をもたらすことに貢献しているのだ。」
「一方で、抑圧が極限に達した時、私は捕らわれている者たちを救う。他方では、魂が苦難の中に居続ける時、それは投資のように機能するのだ。命の一部が切り離され、利子を積み重ねていて、私が地からその魂を連れて行く時に現金化されるのだ。ああ、クレア、あなたはその贖いのメカニズムをあまりにもよく知り、理解している。これは、ただ他の魂たちの救いのためだけでなく、自身の聖なることのためにも機能する。私が教えたことについて、再びまた教えなければならないだろうか?」
「愛する主よ、主が私に明らかにされようとしている、より深い真理に、私は常に開かれていたいです。」
「その点において、私はあなたを愛している。あなたが学んだことが究極の真理だ。自分を捨て、十字架を負って私に従いなさい。あなたは真理を実行しているか?」
「ある程度までは実行しています。」
「私の意志は、私が教えたことに従って生きているかということだ。」
「はい、主よ、そう信じています。」
「よくやった、そのように着実に進みなさい。すべての人がこの悪霊を追い出す働きに召されているわけではない。クレア、まだ気づいていないのか?あなたは戦士ではなく、愛する者だ。」
「私はあなたを愛するように創造し、あなたの愛を通して奇跡を起こす。私の愛があなたを通して機能するのだ。あなたが言おうとすることも正しいが、しかし、あなたの協力を通して私の心を人々に注ぎ込むことは、あなたにとって高貴な贈り物なのだから、あなたが道の右にも左にも逸れないでほしい。心をただ私のために純粋に保ってほしい、私を世話し、私の必要を満たしてほしい。」
ここで主がおっしゃっているのは、礼拝に関する事柄です。礼拝すること、他のすべてよりも主と共に歩み、ただ主と共にいることを強調しておられます。私たちができる征服や様々な事柄がありますが、捕らわれている者を解放することの他に、主にとって非常に重要なのは、私たちと共に歩むことです。主を愛し、主と共に過ごす私たちの時間、主の御前で私たちの心がとどまることです。
主は続けておっしゃいました。「自己の意志に対して無感覚になる地点がある。あなたは昔の聖人たちと殉教者たちの姿にそれを見たことだろう。私が許すすべてのことに対する完全な従順だと言える。一人の魂が私に愛しい視線を固定する時、周囲で起こるすべてのことを私が許したことと深く悟り、そのような周囲の環境は彼らにとって何の違いももたらさなくなる。なぜなら彼らは私をあまりにも愛しているからだ。彼らはこのように考える。『私の聖なる主よ、主が許されることは何でも受け入れます。主が許されたものよりも完璧なものはないからです。』そうやって戦いはなくなり、愛だけで征服されるのだ。理解できるか?」
私は答えることができませんでした。私は自分自身の内的な苦痛と戦っていました。
「私の愛する者よ、答える必要はない。あなたは私の道をよく知っている。順応がすべてなのだ。」
私は「順応」が何であるか、はっきりとは分からず、より明確な理解のために辞書で調べてみました。反対せず、受動的に同意したり、承諾したりすること。沈黙を守ったり、異議を唱えずに、ある事柄を受け入れたり、同意したりすること。抗議せずに服従したり、黙認したり、承諾したりすることを意味しました。
「では、いつ祈り、いつ沈黙していればよいのか、どうすれば分かりますか?」
「私の霊を通して分かるだろう、すべてにおいて従順である中で。」
「では、私は主の意志をよく分かっていなかったようです。私の夫が平安に過ごせるように、いつも祈っていますから。」
「夫のためのあなたの愛ゆえに、そして私に対するあなたの愛ゆえに、私はあなたの祈りを尊重する。」
「ですがそうすると、夫が主へ献げる献げ物の意味を奪うことにはなりませんか?」
「必ずしもそうではない、苦痛は再び戻ってくるからだ。」
「では私が祈ることは、何の役に立ちますか?」
「祈りによって、一時的な安堵感、しばらくの休息が与えられる。私は絶えず苦痛を許す過酷な主ではない。夫が苦痛から解放され安堵感を得ること、あなたの愛を行動で示すこと、そして私の愛があなたを通して働くのを見ることは良いことだ。」
「まるでダンスのようだ。時には前に進み、後ろに下がり、横に移動することもある。多様性が人生を豊かにし、興味深いものにする。もし誰かがいつも前にばかり進むなら、すぐに退屈になるだろう。そうすれば、挑戦というものがなくなる。しかし、浮き沈みがあれば、人生はさらに豊かになり、満たされる。聖書に書かれているように、天の下の全ての物事には、時と季節がある。」
「ですが天国は絶えず前に進んでいて、決して退屈することもない場所ですよね、合っていますか?」
「天国には、別の種類のダンスがある。喜び、礼拝、その時に享受するあなたたちの人生の超自然的な構成要素に対する、神様の生きた奇跡を表現する永遠なる感謝のダンスがそこにはある。この地での任務を終え、より高い所を追求した結果、最高の幸福を目指し、この地を卒業するのだ。しかし、地であなたたちが行った善い行いは、引き続き実を結びながら続いていくだろう。」
「これは非常に神秘的なことだ。私の道があなたたちの道と違うことを知り、全てのことで私の方法がどのように働くか知る必要はないということに満足し、受け入れようと努力してほしい。実際に私の方法が適用されているのだから、あなたは疑問を投げかけずに信頼してほしい。スイッチを入れれば電気がつくものだと信じるように、祈ればそのことが起こり、恵みが注がれ、全てが神様と私たちの聖なる計画から生じると信じてほしい。おお、私の愛する者よ、いつになったらあなたは単純に受け入れ、安らかになれるだろうか?」
私は少し震える声で主にお答えしました。「おそらく永遠にですか?」
「おそらくそうだろう。そうだ、あなたは質問する心を持っている。私の道が最善ではないかもしれないという不安感を持って尋ねるのではなく、私について学ぶことを楽しみながら尋ねてほしい。」
「主よ、私は主について学ぶことが好きです。」
これがメッセージの終わりでした。