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543. 天国は私たちを応援しているのでしょうか

天国は私たちを応援しているのでしょうか

2026年1月12日

イエス様の心の中に留まることを願います。私の愛する魂の家族の皆さん、私がクリスマスの時期に経験した美しい体験を、皆さんと分かち合いたいと思います。エゼキエルと私がまだ按手を受ける前でしたが、私たちはニューメキシコのEl Cerro Missionという宣教地にいました。そこは主にメキシコ国籍の人々が居住する、人通りの少ない場所に位置した、埃っぽい小さな交差点の村でした。私たちはフードバンクを運営し、週に一度、私たちの家でRosary お祈りを捧げていました。教区では現地の人々に結婚することを勧めていましたが、それは彼らの習慣ではありませんでした。ええと、話を短くすると、私たちと非常に親しくしていたある家族がいたのですが、何人もの子供がいたにもかかわらず、その夫婦は結婚した状態ではありませんでした。そんなある夜、Rosary お祈りの最中にその女性が悪霊に捕らえられてしまい、その場にいたすべての家族を恐怖に陥れました。

私たちは祈りながらAlbuquerqueにある、ある正教会共同体に助けを求め、彼らは私たちに断食しながら悪霊を追い出す祈りを準備するようにと助言してくれました。私たちはそのようにしました。その若い女性は、Rosary お祈りの集まりの最中に自由になりました。この悪霊を追い出す事件は、出席したすべての人に深い影響を与えました。彼女のために祈る過程で、私たちはどのようにして悪霊が入ってきたのかを尋ね、それが不道徳な性関係の最中に起こったという事実が明らかになりました。すべての人が怖がって正気に戻り、一緒に住んでいた男たちと結婚するために、皆がクラスに登録し始めました。それがどれほど予期せぬ恵みであったか分かりません!

あるクリスマスの日曜日に、私たちが共同体のミサに出席していた時、聖ヨセフが幼子イエスを抱いて教会の前方に現れました。彼は腕に抱かれた子供を見下ろし、喜びの涙を頬に流しておられました。すると彼は私に近づき、幼子イエスを私の腕に抱かせてくださいました。私は完全に畏敬の念に包まれ、自分自身があまりにも資格がないように感じられて、どうすればよいのか分かりませんでした。私はただ言葉もなく主を腕に抱いており、しばらくして頬がまだ涙で濡れている聖ヨセフに、主を再びお返ししました。

おお、愛する家族の皆さん、私たちは主の誕生がどれほど聖なるものであったか、全く推し量ることさえできませんが、聖ヨセフはそれを知っており、感情がこみ上げていました。それほど長く待ち望んできた救い主、人間の罪を取り除き、主の信じられないほどの献げ物を通して、私たちのために天国へ行く永遠の門を開いてくださる神様のメシアです。

「おおイエス様、感謝するという言葉だけでは、決して十分ではないでしょう。」

イエス様が答えてくださいました。「いいや、私の愛する者よ、それだけでは十分ではないだろう。しかし、地獄で永遠を過ごし、私から引き離される境遇に置かれた者たちに私を伝えるために、この地の称賛を捨てた僕たちのあなたのまこと(誠実さ)から、私は大きな慰めを受ける。収穫を刈り入れた私の民よ、ありがとう。私の愛する者たちよ、ありがとう。私はあなたたちからこれが必要であり、あなたたちは私を拒まなかった。天国であなたたちの報いは大きく、私はただあなたたち一人一人のためにそれを予備した。」

ヘブライ人への手紙12章1節から3節はこのように言います。「 こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、 信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。」

アーメン。