542. 私を信じなさい
私を信じなさい
2018年1月7日
主よ、感謝いたします。私を辛抱してくださる、驚くべき忍耐力にただ感謝いたします。私たちに向けられたあなたの御心から外れた小さなものが、私たちを誘い出し、私たちの翼を折ってしまうのを、見ることができるよう助けてください、アーメン。
「主よ、金がいつ役割を果たすことになるのか、お尋ねしたいと思います。」
主はお答えになりました。「今はその問題については置いておくのが良い。私には私の事情があるし、それらの問題は定められた時に明らかになるだろう。そして、その問題については何も心配しないでほしい。そのように置いておくことが、従順から来るものだと知り、またその従順が善い実を結ぶことを知ってほしい。あなたの心が物質的な利益を得ることに焦点を置かず、毎日私が悲しんでいる苦しむ子どもたちに焦点を置いているなら、結ばれる善い実を見るだろう。そうだ。私はあなたたちの従順が、苦しむ子どもたちに益となるようにする意志を持っている。だから平安の中にいてほしい。あなたたちは正しいことをしたのだ。今は金の問題については置いておいてほしい。」
「主よ、明確にしてくださり、ありがとうございます。」
愛するHeartdwellersの皆さん、この人生は、まるで地雷原のようだという気がいたします。爆弾というよりは、私の翼を折るような罠、そうした散漫さに満ちた地雷原のようです。
今日、YouTubeの私の動画の隣に、獣の勢力に関する動画がありました。見たいという誘惑に負けて、5分ほど聞いたのですが、私の心の中には、このような考えが浮かびました。「私は本当にこんなゴミは聞きたくない。」しかし、別の動画のタイトルが私の関心を惹きつけました。私はクリックしました。しかし、それも暗い内容でいっぱいでした。たとえその内容が事実だとしても、私は本当に聞きたくありませんでした。
しかし、ある場合には、主が私にお許しになれば、動画をクリックして見聞きすることもあります。そのような動画がどのようなものか、私に尋ねないでほしいです。皆さんも大きな問題に陥ることになるからです。
私の心の奥深くで、「主はこれを望んでおられない」という言葉を感じることがあります。
昨日あった動画と私の葛藤は、私の家系図のルーツに関する内容でした。私が中東の血を引いていることが明らかになったのですが、かなり興味深いことでした。主が私におっしゃってくださったことを、確認するものでもありました。しかし、私はそのような表面的なことについては、全く満足する気持ちを感じませんでした。私は常に主の胸へと、より深く、より深く入っていくことを望んでいます。
今日は、私たちの大統領が成し遂げていることに関する政治的なニュースでした。私はそのことについてもっと知りたかったので、動画と格闘しました。私はそれもブックマークに保存しました。私の夫は私にそのブックマークリストを削除する方が良いだろうと提案してくれました。ああしかし、私はそうしたくありませんでした。そこで、私は心の中で葛藤しました。
聖餐の時間を終えて、主は私のところにいらっしゃって、こうおっしゃいました。「従順になる準備ができているか。」
アウチ。そうです。私はブックマークを削除しました。
愛するHeartdwellersの皆さん、好奇心は私たちの翼を切り取る罠であり、巧妙に仕掛けられた誘い餌です。私たちに与えられた任務を果たすべき時間とエネルギーを食いつぶして、私たちに計画された天の運命を、私たちが達成できないようにしてしまうのが好奇心です。私は非常に良くない手本です。ですから、私の経験に基づいて、皆さんに注意を促します。皆さんが主を愛し、皆さんのミッションに価値を置いているのなら、このような罠に陥らないでほしいと勧めます。このような好奇心をまるで伝染病のように見なし、避けてほしいです。それらは狩人のわなです。
イエス様がおっしゃいました。「好奇心のようなものに妥協してはならない、クレア。今だけではなく、後でもならない。妥協する時間はない。あなたを脅しているのではない。しかし、好奇心の問題は深刻であり、あなたにはそのようなものと妥協する余裕がないことを知ってほしい。」
「私はあなたを心から愛している。あなたのために、一番良いものだけを与えようと私は働いている。もしそのようなことを聞くことがあなたに有益だとしたら、私がそれを奪うと思うか。」
「いいえ。」
「そうだ。私は奪わないだろう。あなたはずっと幸せになるだろう。さらに、あなたに音楽を書くようにと私が与えたものがあり、あなたが新しい音楽を作って分かち合うのを待っている人たちがいるのだ。」
「私は心が優しく親切だ。もしそれがあなたにとって健康的だとしたら、私はそれを制限しないだろう。それが慰めと善いものをもたらすなら、私はそれについて責めたりもしないだろう。しかし、真実はこうだ。それは完全な散漫さであり、敵があなたの頭の中に世を注ぎ込む関門なのだ。そのようなものを受け入れる限り、あなたは私があなたのためにデザインした高く美しい住まいにおいて、完全に機能することは不可能になる。」
「私を信じなさい、クレア。私があなたを抱き、導いたこの臨在の場所は、あなたの目が向いていた所よりもはるかに良い所なのだ。あなたにこのような欠点があることは確かだが、私はあなたを去ったり、背を向けたりはしない。あなたの周りを絶えず巡りながら、あなたを攻撃し、殺そうとする方法を探している狼たちにあなたを置き去りにして去るようなことは、私はしない。彼らは限りなく邪悪で、あなたを破滅させようとする。何よりも、敵たちはあなたと私の親密さを嫌う。なぜなら、その親密さが他の人たちの人生をより良いものへと変え、他の人たちの縛られた束縛を解き放ち、自由にして、私が創造した姿へと変化していけるようにするからだ。真に私は人々の心の中で動き、息をしているのだ。」
「あなたが狼たちの巣穴に入って、彼らのテーブルに座り、共に食べることをしない限り、私は彼らからあなたを守る。そうすることは、純潔で、威厳を備えた魂の姿とは言えない。飢えた犬の姿に近いのだ。だから私はあなたが、そのような種類の考えや調査をしないようにしているのだ。そのようなことは、あなたの魂に毒になり、何の価値もないことだ。もちろん、敵たちもこれをよく知っている。だから、あなたがそのような種類の情報にのめり込むよう、機会を作り、あなたを苦しめているのだ。だが、あなたがそのようなことを拒否すれば、あなたは安全だろう。」
私はブラウザを開き、私のブックマークを削除しました。そして、このようなレーマの御言葉を主は私にくださいました。
(詩編 124章1~8節) イスラエルよ、言え。「主がわたしたちの味方でなかったなら 主がわたしたちの味方でなかったなら、わたしたちに逆らう者が立ったとき そのとき、わたしたちは生きながら、敵意の炎に呑み込まれていたであろう。そのとき、大水がわたしたちを押し流し、激流がわたしたちを越えて行ったであろう。そのとき、わたしたちを越えて行ったであろう、驕り高ぶる大水が。」 主をたたえよ。主はわたしたちを敵の餌食になさらなかった。仕掛けられた網から逃れる鳥のように、わたしたちの魂は逃れ出た。網は破られ、わたしたちは逃れ出た。わたしたちの助けは、天地を造られた主の御名にある。
主は続けておっしゃいました。「私の子供たちよ、あなたたちが火に触れながら、煤を避けられると思ってほしくない。注意を散漫にさせ、何かをむさぼりながら、何の傷もなく逃れられるとは思わないでほしい。そのような妥協のために時間を使わないでほしい。」
「敵は非常に賢い。彼らはあなたたちの前に美味しい食べ物を置いて、ささやく。『わあ!これ見てごらん。ちょっとだけ見てみようよ。』すると、あなたたちはそれについていく。しかし、そのちょっとは3分、5分、10分と続き、4本の動画をさらに見て1時間を失い、精神はぼんやりし、頭は汚物でいっぱいになるのだ。」
「良心があなたたちの中で働いているのに、それに逆らえば、あなたたちは常に負けることになる。繰り返すが、常に負けることになる。私はあなたたちの好奇心を抑えるように、心と考えることが善く、純粋で、聖なるものに集中することがいかに重要であるかを悟るように、そして、私があなたたちに行うように与えたものが、いかに貴重なものであるかを悟るように、あなたたちに言い続け、努力しているのだ。」
「私があなたたちのためにデザインした場所は、最も甘く、美味しい場所だ。他の人の果樹園であなたたちが働くことは、非生産的だ。そうしている間に、あなたたちの果樹園の果物が傷つけられる。あなたたちが世話をしない間に、鳥たちはついばみ、イナゴは葉を食い荒らし、盗賊たちはやって来て盗み、敵は木を切り倒すのだ。あなたたちには、あなたたちに与えられた果樹園で怠ける余裕はない。あまりにも多くのことが危険にさらされているからだ。」
「私に対する従順と信頼の生き方をして、あなたたちに与えられた恵みと賜物を守ってほしい。私の愛する者よ、私はただあなたたちのためだけに、最も良いものだけを望んでいるのだ。」
「ごく簡単な原理だ。あなたたちが私を愛するなら、あなたたちは私に従順だろう。そうすれば、敵たちがあなたたちの翼を不自由にして、もはや飛べなくさせる罠から、私があなたたちを守るだろう。」
(ヨハネによる福音書 14章23節) イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。
そして、この録音が進行している間ずっと、私の耳元でこだましていたもう一つの聖書の箇所は、「あなたはこれらのものより、私を愛しているか」でした。
イエス様はペトロに三度もおっしゃいましたね。ペトロが漁の仕事で密かに戻っていたからですね。主はペトロに、続けて主にお仕えすることを望んでおられました。漁をしながら、同時に主にお仕えすることはできません。そこは主が指定なさった場所ではありませんでした。神様がそうするようにと創造されたのではありませんでした。
だから主はペトロに三度尋ねられました。「あなたはこれらのものより、私を愛しているか」と。
愛するHeartdwellersの皆さん、今も永遠にも、完全な幸福のために、疫病のような注意を散漫にさせる事柄を遠ざけられますよう、神様の祝福が共におられますようにと願います。