533. 豊かさの誘惑
豊かさの誘惑
2015年9月3日
Heartdwellersの皆さん、主の恵みが皆さんと共にありますように。
今夜、わたしは主がどのようにわたしを危険な敵から導いてくださったのか、皆さんと分かち合おうと思います。その間、私たちのチャンネルに共にいてくださった皆さんはご存知だと思いますが、黒豹、主に精神を集中させていなければならないのに、世の中の出来事に精神と心が散漫になる敵の攻撃、が再び動いています。
夕食の時間に礼拝を始めはしたのですが、自分の服を買うことに心が奪われてしまいました。最近、私の大切な友人が、私が着ていた服の一部がほつれているのを見て、私に服を買うようにお金をくれたからです。実は、私は服を買うことを数年間避けてきました。お金もありませんでしたし、それよりも重要なことは、私が世の中の出来事に引きずられたくなかったからです。私は、簡単に世の中の出来事に巻き込まれる傾向があることを知っていたからです。皆さんはそうではないかもしれませんが、私はそのような傾向があることをよく知っています。とにかく、私のこの世の中の出来事に巻き込まれる傾向が、私にとって当惑するほど重要な問題となっていました。一方、友人の寄付は、私がいくつかの物を買うことができるように助けとなりました。
そのいただいたものをうまく使うために、私はインターネットショッピングで多くの時間を過ごしてしまいました。心配していた通り、私は必要なものを探すのに何時間も費やしてしまいました。私は普段、中古品店でショッピングをするのですが、それが多くの時間を費やし、私を疲れさせます。なぜなら、私は毎日主のメッセージを伝えなければならない責任を負っているため、なおさらそう感じるからです。だから私は我慢して、そのようなショッピングを避けたいという気持ちがありました。しかし、私が探しているのは、首を包む長袖シャツと、私の身長の足首まで届く長いスラックスのようなものでした。どうせ中古品店では見つけられないものでした。それで時間を節約するためにオンラインで見て回ったのですが、私が求めているものをそこでほとんど見つけることができました。
ええ、しかし私は自分の中で何かが湧き上がってくることに気づきました。何時間もインターネットを検索しては、私の心にぴったりのものを探し回っていました。私の心はまったく安らかではありませんでした。私は、自分の精神と心が絶えず散漫になるのを感じることができました。「これはどう?あれは?あなた、あれが必要だ。ここに見えないの?あそこを見てないじゃない?検索窓でこんな言葉を使わなかったじゃないか。もう一度探しなさい!」このような考えが私を占領するのを感じることができました。それはひどいものでした!
それで私は『聖書の約束』という本を広げて、主の考えを尋ねました。「Food and Clothes」というカテゴリの御言葉が出ました。私の最初の反応は「そうだ!主は私が服が必要なことを認めてくださるのだ。」でしたが、しばらくして心が落ち着き、私は自分自身に言いました。「クレア!また別の意味は何でしょうか?別の面を考えてみるのが良いのではないだろうか?」後悔するよりも安全な方が良いと感じられました。皆さんもご存知だと思いますが、真の分別を妨げる最も大きな障害物の一つは、自分の心が望む通りに物事を処理しようとする愛着を持つことです。私たちが何かに対する欲求を持っている時、それが正当化されることを望み、正当化しようと努力すると、分別のために用いる主の御言葉も、少しずつ私たちの意志と欲求の方向に歪めてしまうことがあります。このような分別は致命的です!そのような時、私たちは主から大きなNOを受けなければ、ようやく我に返るものです。ですが、実際これは口で言うのは簡単なことかもしれませんが、行動は非常に難しいことですよね!
ええ、私は「Food and Clothing」というカテゴリの御言葉について経験を持っています。聖書に出てくる「Food and Clothing」に関する御言葉は、マタイによる福音書6章にあります。
(マタイによる福音書 6章25~34節) 「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は爐に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦勞は、その日だけで十分である。」
検索エンジンで私が正しい言葉を使ったか考えながら眠りにつき、寝ていてもベッドから跳ね起きてパソコンをつけ、再び探し直すようなこと。このようなことが強迫症だということが分かります。
それで私は心の中で「わかりました、主よ、また主の御言葉を求めます。」と考えました。それで私は祈り、「聖書の約束」という本を再び開きました。私が開いたのは何だったでしょうか?まさにそのページでした。「Food and Clothing」とマタイによる福音書6章の御言葉でした。主は、依然として同じ御言葉を私にくださりたいと望んでおられたのだと、私は感じました。二番目に開いた箇所を閉じ、私は三番目に本を開きました。なぜなら、私は通常、三度、主の御心を確認しているからです。三番目に、私は何を受け取ったでしょうか?「親の義務」でした。
エゼキエルと私両者ともに、私たちに託された魂を世話をし、母となり、父となり、私たちに託された魂を顧みることを怠らないようにと、主は望んでおられる、という御心でした。私がその御言葉を見ている時、主が私の右耳に、このようにおっしゃるのが聞こえました。「あなた自身がまだ学んでいないことを、どうして他の人に教えることができるだろうか?」
そして私は思いました。「私は本当に大きな危険の中にいる。私は本当に自分を治めなければならない。さもなければ、私は他の人を助けることはできないだろう。」
私は中心を失ったと感じることができました。主と私は共に悲しみを感じ始めました。そこで私は主の助けを請い、私が必要とする服があろうとなかろうと関係なく、ここでやめると言いました。主は私に、おっしゃいました。「そうすることができるのか?本当にここで止めることができるのか?」 その声には、同情心と心配が感じられました。私は答えました。「はい、主よ、できそうです。」
後で私は用事を済ませなければならず、待っている時、小さなポケット聖書を開くと、詩編51篇が出ました。その内容は、ダビデがバト・シェバと罪を犯した後、書いた悔い改めのものでした。悔い改めについての代表的な御言葉ですね。「主よ、私を憐れんでください。」ああ、なんと美しく、また美しい詩編でしょう。何気なく考える人にとっては、これが大したことには見えないかもしれません。しかし、私が黒豹とどう戦っているのか、自己義と自己の意志で私の夫をほとんど失いかけた私の事情をご存じの方々にとっては、このことがかなり大きなことだとお分かりになるでしょう。そうです。私にとっては大きなことです。私の考えが物事や世間のことでさまようのを私は許し、そのため、考えのバランスと自制心を失ってしまったからです。
ありがたいことに、私の考えが整頓され始め、私の考えを明瞭に見て捉えることができる恵みが臨んだようです。ついに散漫でさまよう完璧主義的な私の考えに打ち勝ったようでした。もしかして皆さんも完璧主義的な気質をお持ちでしょうか?完璧主義は、自らを節制と満足と感謝という幸福へと導くことができないようです。「これはどうだろうか?あれの方が良いのではないだろうか?」などと、限りなく考えや心の中でぐるぐる回ってしまうようです。皆さんの中で誰も私のようなこのような弱点を持ってはいないと思います。
今夜、礼拝を捧げている時、イエス様がおっしゃいました。「富への誘惑は、あなたたちの家系に非常に強い。あなたがそのように心を世の事に置いている時、わたしはあなたを世に失ってしまうのではないかと、気が気ではない。世には、この病で苦しむ魂が非常に多くいる。そのような魂のために、あなたが戦っているこの戦いについて分かち合ってくれることができるか?わたしはそのような魂を自由にさせてあげたいが、彼らの中には、それが罪であるということさえ認識していない者もいる。」
モルモットのように、この問題が再び出てくることを私は知っていました。普通の人々がそうするように、私も自分の行動を正当化したい質問をしたくて、主にお声がけしました。「しかし、主よ、あるものは持つ必要がありませんか?」
「本当に危険なものは、後ろに隠されている力にある。クレア、あなたも知っているだろう?『もう少しだけ、もう一つだけ、全部できた、あっ!一つ忘れてた、これも必要だ。これがないと変だ』などという考えが、続いて続いて終わることがないのだ。本当に終わりなく続くのだ。その後ろには、邪悪な力があるのだ。」
私は「nefarious」「邪悪な」という単語の意味を調べてみました。犯罪という意味も一緒に含まれた単語でした。例としては、組織犯罪の邪悪な行動や、犯罪の連合体のようなものがありました。
イエス様は明確に説明してくださいました。「その意味をこのように解釈するのが良い。犯罪を助長する悪魔たちの組織的で邪悪な活動、すなわち、欲望、所有欲、掌握欲、貪欲、貪心、完璧主義を助長する悪魔集団の悪しき行いが、その背後にあるのだ。それは、何かを追求する時、決して完璧というものがないにもかかわらず、その完璧を追求させ、まるで明るい未来があるかのように思わせて、人々を前進させ続ける。そして、そのようなことについて約束させたり、誓わせたりしながら、物事を続けさせるのだ。そうやって誘惑し、わたしとの親密な交わりから引き離しては、散漫さや偶像崇拝、罪に陥らせるのだ。」
興味深いことに、私が今日昼に一冊の本を読んだのですが、パウロが行った地域にあった偶像崇拝の話でした。その当時、人々がどのように金や銀のようなものを崇拝していたかについての内容でした。そして主は、私に偶像崇拝についてお話しになる時、欲望と共に話してくださり、特には、私が持っているこのような弱さや困難と関連して、お話しくださいます。
「愛する者よ、わたしが言っているのは、必要についてのことではない。必要の裏に隠れていて、必要の後ろに続く欲望や、何かに対する強烈な欲求のような力を言っているのだ。『全てを確実に終わらせなければ』という変装をして現れるものがある。しかし、真の終わりなどないのだ。頭の先に付いた触手から出る光を、釣竿のように利用するアングラーフィッシュのような深海魚を考えてみてほしい。その光は、餌のように餌食たちを口へと誘い込む。口と顎は、胃のように大きく開いていて、餌食たちが気づく前に、角ばった歯が餌食たちを閉じ込めてしまう。罠の扉が閉まってから、あなたたちは、やりすぎたということに気づくことになる。このような姿は、物事に対する不健全な愛着なのだ。そのようなものは、表面的な満足感をもたらすだけだ。一瞬の間だけ満足が続き、再び虚しさを感じるようになるのだ。」
「神様で満たされるべき心がこのような空虚なもので満たされるため、そのような虚しさを感じるのだ。敵が用いる、このような誘い文句の一つは、よく食べる食事のようなものだ。実際にはよく食べているのではなく、あなたたちが食べられてしまうのだ。敵があなたたちの食事を食べているのと同じだ。虚しいことに使われてしまう時間は、決して取り戻すことはできないのだ。ほとんどの世の人は、ほとんど何も持たずに生きている一方、持てる者たちは、すでに多く持ちすぎているにもかかわらず、ひたすらもっと多くのものを持とうと努めている。」
「しかし、主よ、そのような人たちも、豊かさを得るために熱心に働いたではありませんか。」
「本当にそう思うのか。あなたたちがその根源を最後までたどっていくなら、あなたたちは、貧しい人たちが何らかの形で搾取されてきた地点を、必ず発見するだろう。しかし、これがわたしの言いたい要点ではない。要点は、そのような、持ってはまた持とうとする心が毒となり、魂を蝕むということだ。すでに十分であるのに、決して十分だとは考えない。『これが必要だ』という思いが、常に付きまとうのだ。」
(コヘレトの言葉 5章12~13節) 働く者の眠りは快い、満腹していても、飢えていても。金持ちは食べ飽きていて眠れない。太陽の下に、大きな不幸があるのを見た。富の管理が悪くて持ち主が損をしている。下手に使ってその富を失い、息子が生まれても、彼の手には何もない。
恥ずかしながら、わたしはベッドにいる時でさえ、コンピューターに駆け寄り、起動して検索することもしました。わたしが何か必要なものを探す時は、使っていなかった検索語を思い出すと、そのように行動します。
「わたしは、あなたたちがごくごく小さなもので満足することを望む。なぜなら、あなたたちが小さなものに満足するなら、あなたたちの心の中では、そのような物事に対する関心がごく小さいことを、わたしに示すことになるからだ。すべてを完璧にそろえることよりも、欲求に一線を画し、満足することを知る方が、はるかにはるかに安全なのだ。そうすれば、人は『うん、これがあるからあれが必要だ、それにこれも必要だ』という風に、一線を越えて行動したり、物のようなものを継続的に追い求める傾向が、なくなっていくのだ。」
「餌は餌に見えない。見えるのは、何かを持ちたいと願うあなたたちの欲求や欲望や期待といった、小さな光だけだろう。その後ろにある罠の扉がどのように閉まるかを見ることができず、結局、あなたたちがどのように捕らえられているかも見ることができず、自らの力で抜け出せなくなるまで、見ることができないのだ。一例として、クレジットカードが、このようなことをさせる手助けをするものの一つだ。それらは、あなたたちがあれもこれも持てる生活へと誘う。絶望的な借金に閉じ込められるまで、誘い込むのだ。結局、そのような借金に陥らせるものも役に立たなくなるのだが、その後でさえ、あなたたちはもっと多くのものを必要とするようになる。」
「一方、わたしの国を追求する者たちは、必要なすべてのものが満たされるのだが、それにもかかわらず、そのような空しいものへの欲求や欲望に囚われない。彼らは、ごく少ないものだけを望むことを学んだ者たちだ。彼らは鳥のように自由で、多くを持つことを、罪や束縛や悲しみと見なす者たちだ。もちろん、彼らは神様を常に最も第一に探す者たちだ。」
「先ほどあなたに言ったように、あなたは、天のものではなく地のものを探し求める歴史を持つ家系の出身だ。たとえあなたがその世代間に受け継がれてきた呪いを打ち破ったとしても、あなたの内には、いまだに何かを得ることを楽しもうとする痕跡が残っている。貪欲の霊のことだ。」
「はい、主よ、わたしは、物に対する欲望と完成への欲求を強く感じます。すべてを正し、すべてを一つにまとめることです。常に、より良いもの、より良い品質といったものを追求しています。わたしの心の奥底で振動している、静かなざわめきのようなものを感じるようです。深刻ですね!」
「それがまさにあなたを破壊し、わたしの懐からあなたを引き裂こうとすることだ。それがまさに、あなたが苦しむ理由なのだ。あなたはますます強くなり、そのような欲求は次第に弱くなるように見えるかもしれないが、そのような欲求がそこにある限り、あなたは危険にさらされているのだ。今日、その欲求に餌を与えて数年を無駄にするか、飢えさせるかだ。」
「わたしが主を礼拝していた時、わたしはワニのように水面に浮いている黒いヒョウを見ました。鼻、耳、そして目だけが水面に出ていました。それは、わたしの次の行動が何であるかを見るために、非常に注意深く見張っていて、飛びかかる準備をしていました。」
「これに打ち勝つ唯一の方法は、自分を捨て、十字架を背負ってわたしに従うことだ。わたしはあなたに、必要を満たすことができる平安を与えよう。しかし、それまでは、そのような欲求を完全に無視する方が良い。」
「はい、そうですが、うーん、冬が来るし、わたしの服は文字通りぼろぼろだし、もし懐事情が悪くなったら、少なくとも冬のために暖かい服は必要なんだけど。」
「わたしの愛する者よ、わたしはあなたが考えているすべてのことを知っているし、あのヒョウが何を考えているかも、わたしは知っている。あなたは少しばかり滑り込んで敵の獲物となり、あれこれの欲求を満たすために、わたしから離れて散漫になってしまった。このような小さな過ちは、深刻な下り坂の始まりに過ぎず、そのような欲求を抑制するまでは、続くものなのだ。しかし、わたしはあなたがここでやめると決心したことに、満足し喜んでいる。しかし、引き続き用心することを望む。敵はあなたの魂を打ち砕き、あなたをわたしの懐から引き離そうと、努力し続ける。それを許さないでほしい。これは軽い警告ではなく、深刻な警告なのだ。」
「昨夜あなたが見た夢、何があなたを攻撃したのか、話してくれると嬉しい。」
私は昨夜、悪夢を見ました。おそらく、今まで見た中で最も恐ろしい悪夢だったでしょう。私は部屋に入っていったのですが、自分の家にある部屋のように感じました。私は「この部屋は少し変な感じがするのだが、ドアの裏に誰かいるようなのが?」と思いました。ドアは大きく開いていました。それで、私はドアを少し自分の方に引いて、裏に誰がいるのか見ようとしました。ところが、とても力強い男がドアの裏から飛び出し、私を完全に制圧し、ナイフで刺し始めました。私は悲鳴を上げながら助けを求めました。それで、夫を起こしてしまいました。冷や汗が出るほど怖かったです。私がその力強い男に完全に制圧されていたからです。
「あなたをわたしから引き離し、あなたを完全に制圧しようとする敵の力と性質を、その夢を通して経験したのだ。あなたたちがわたしにどれほど近づいてきたかを知っていること、わたしと共に享受している親密さを失う可能性があること、そして今理解できない部分があることを、わたしはよく知っている。」
「わたしの花嫁たちよ、敵が望むすべてのものよりも、最も望んでいることは、あなたたちをわたしとの親密さから引き裂くことだ。そのような目的を達成するために、普段は仕事で疲れさせ、日曜日になって休む時だけ教会でわたしのために時間を持たせるようにする。敵はあなたたちのスケジュールをぎっしりにし、わたしのために時間は残らないようにする。お金をさらに稼いだり、あなたたちの仕事や地位にとってより有益なことのためにあなたたちが使われているかどうかを、絶えず確認しながらあなたたちを導く。そして、そうやって、わたしとの親密な時間を次々と奪い取るのだ。あなたたちにつきまとい、あなたたちの弱い部分がどこか、穴が開いている場所がどこかを正確に知って、そこを攻撃する。このような理由のために、わたしがあなたたちに警告しているのだ。」
「今はあなたたちが冬を準備する季節だ。冷たい風、寒さ、家に必要なもの。これを覚えていてほしい。悪魔たちは、あなたたちの考えの中で何が現実的に合理的かを考えさせ、必要だと思うものの極限にまで追い込むのが得意だ。あなたたちの心の中で『これは重要だ』という考えを抱かせるものによって、そうする。そのようなものを追いかけていると、わたしへの集中力を失い、バランスを失い、わたしとの関係を失ってしまう。冬を準備するこの季節が、あなたたちの考えと心を、世という深い水の中に沈ませないでほしい。あなたたちの敵が潜伏していて、あなたたちを打ち砕くための招待状を持って待っているからだ。」
「そうしてはならない。むしろ、変化と散漫さに満ちたこの季節に、わたしたちの関係に、より特別な注意を払ってほしい。そうすればあなたたちは、後悔して振り返ることなく、わたしの懐で安全に、敵と世の中を切り開いていくだろう。真にあなたたちを祝福する。これは、あなたたちが自己愛(self-love)と自己追求(self-seeking)のあらゆる痕跡を踏みつけ、打ち勝つために与える祝福だ。この祝福の中には、来るべき日にわたしの前に立つことができるようにする、真の価値が共にあるだろう。」