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518. 霊的戦い10、神様の武具

霊的戦い10、神様の武具

2016年9月13日

主の胸に留まる皆さん、敵は、その数と勢いにおいて、増しているようです。しかし、主も私たちをさらに武装させ、保護なさいます。驚くべき恵みです。

私自身は、今日も、怒りっぽい性質を扱うのに苦労し、結局、キリストの花嫁としての姿を完全に整えることができませんでした。私は、不平を言い、ぐずぐず言う自分自身を発見しました。直ちに私は悔い改め、掃除と皿洗いができたことについて、主に感謝を捧げました。本当に私は自分の態度について恥ずかしく思いました。

私は今日の祈りの協力者と話をしたのですが、彼女は神様の武具がいかに重要であるかについて話しました。それは、私たちが主に請い求めることができる贈り物だと言っていました。私はそれを以前は真剣に考えていませんでした。私は、ただ、神様の武具に関する御言葉が、良い比喩だと考えていただけでした。それで、私は今日、この武具について黙想するようになりました。

実際、私は以前は、主に請い求める価値さえないと感じていました。この武具を受け取るためには必要なものがあるのですが、それは愛する心と、他の人を世話する心であるようです。主の心が人々を世話する心であるようにです。私はこの心について、さらに主に請い求めるでしょう。しかし、確かに私たちは、それを受け取る準備ができていなければなりません。私たちの心は、少なくとも、主と隣人に対して正しくなることを願わなければなりません。主との実際的な関係を持つ必要があり、その後にこの贈り物を求めればよいのです。私は、資格がないという考えながらも、とにかく主にこの武具を求めました。

この日、控えめに、私は個人的な聖餐式を行い、主は私の体に完全な武具を着せてくださいました。聖餐式の直後に受け取りました。私は心から謙遜になっていました。

主と私が共にいる時、私は主に近づいてこのように言いました。「武具を着せてくださり、ありがとうございます、主よ。とても美しいです。主は本当に私にとても善いお方です。そして、今日の良くない性質と、感謝しない私の態度について、申し訳ありません。言い訳もありません。あまりにもみっともないだけです。」

「そうだろう」(少しからかうような感じでした。)

「いや、違う。決してからかっているのではない。まさしく私の口から出た言葉だ。」

「主よ、主は私を笑わせてくださいますね。」

「愛する者よ、あなたを笑わせることが私には実に良い。今日も大変な一日だっただろう?そうだったはずだ。しかし、忍耐してほしい。これからも、もっと良くなるだろう。」

「どのような形で良くなりますか?」

「あらゆる方法で良くなるだろう。武具はあなたを助けるだろう。どうぞ祈る前にこの武具を身につけてほしい。」

今夜、私はそのようにし、私たちの夢について祈り、聖霊様が私の体を洗いながら、近づいて来られるのを感じました。私にとって、これは確証を与えるものでした。本当に実際に私に起こりました。そして聖霊様は、私にこの武具を着せてくださり、武装させてくださいました。

「これは非常に大きな助けとなり、あなたの祈りをはるかに効果的にしてくれるだろう。」

「主よ、私は戦士になることは、それほど望んでいません。私は主の恋人になりたいのです。」

「この時期には、両方になる必要がある。」

私は、パウロが書いた武具に関する箇所を調べてみるよう導かれました。

(エフェソの信徒への手紙 6章10~17節) 最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、 平和の福音を告げる準備を履物としなさい。なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。

この時点で、主は、神様の武具についてお話しになり始めました。兜から話されました。

「あなたたちが救いの兜をかぶる時、あなたたちは世に属していないという事実、すなわちもう天国の市民だということを知る。すでに勝利した戦いに、あなたたちは臨んでいる。なぜなら、あなたたちは新生した者であり、サタンの手先よりもはるかに高い能力によって贖われた者たちだからだ。誰が勝つのかについては、疑いの余地はない。あなたたちの精神は、敵の策略から守られるだろう。私があなたたちの中に留まっていることを、あなたたちは知っている。私がすべてに勝ったという事実を、あなたたちは知っている。敵はただ犬の首輪につながれた存在だということを、あなたたちは知っている。しかし、すべてのことの中でも最も重要な知識は、あなたたちが私に属しているという事実であり、私がすでに闇に対するすべての戦いに勝利したという事実だ。あなたたちの目には、今すぐどう見えようと、それは関係のないことだ。」

その次に、主は胸当てについて話されました。

「正義の胸当ては、あなたたちの内部、すなわちあなたたちの心を保護する。そこに私が留まっている。あなたたちの良心が私の前で清潔ならば、何もあなたたちを告発することはないだろう。告発者、すなわち、サタンは、あなたたちを落胆させるいかなるものも持つことができなくなる。」

「人が弱くなり、サタンから決定的な打撃を受けるのは、心臓、すなわち心によって左右される。魂が宿る場所、そこは私の慈悲を宿す場所でもある。この心臓は、あなたたちの感情に影響を与える。もし、その心臓、すなわち心が弱く、脆弱であれば、あなたたちは霊的戦いで敗北するだろう。」

「だから、あなたたちの良心を調べることが重要だ。戦闘に臨む前に、心の中に罪があるか見極め、罪を告白し、悔い改めなければならない。あなたたちがこの作業をしっかりやったなら、あなたたちがわたしと正しい姿で立っていることを知るだろうし、何もあなたたちの前進を妨げることはないだろう。いかなる偽りも、いかなる告発も、いかなる脅しも、いかなる心理的な武器も、決してこの柔らかな心に突き破って入ってくることはできなくなる。どのような武器も、あなたたちを萎縮させたり、後退させたりすることはできなくなる。」

「あなたたちの体のすべての肢体は、内部の器官がその機能を果たしているかどうかにかかっている。内部の器官が完全でない時、体の残りの部分は弱くなり、攻撃されやすくなる。敵の強力な攻撃に立ち向かって、持ちこたえることができなくなる。だから、神様と共に正しく立つこの義の胸当ては、あなたたちの保護膜だ。あなたたちのすべてのシステムが、最適の状態で動作できる保護膜だ。あなたたちはわたしの血で清められ、今、あなたたちはわたしの義を着ている。これは、あなたたちとわたしとの関係を保護もする。誰一人として、あなたたちの心からわたしを奪うことはできない。」

「しかし主よ、私たちの心から主を奪うことが可能だとすれば、それはどのような場合でしょうか?」

「あなたたちが悔い改めが必要な時に悔い改めをせず、わたしの前に出てこない時。あなたたちが罪深い何かを抱き続け、しかもそのような罪を捨てずにわたしがあなたたちを保護するだろうと考えていたり、問いかけていたりする時。その時、敵はあなたたちを安堵させ、眠りへと引きずり込ませるように導く。『おいで、今回だけやってごらん、主があなたを許すだろう。』」

「あなたたちは、絶えず罪を犯し、非常に速やかに罪の中で歩むようになり、わたしに背を向ける。そしてあなたたちは生ぬるくなり、わたしとの関係は曖昧になり、苦しみながら死んでいくことになる。かつて喜びで満ちていた場所には、今や冷たさが存在する。ある魂たちにとっては、このようなことが数年間続く場合もある。『義』への渇望と、『わたしと正しく立つこと』は、あなたたちを絶えず罪から遠ざけさせる。あなたたちが倒れた時、わたしのところに来て悔い改めるなら、わたしはあなたたちを回復させ、再びその美しい場所へと引き上げる。」

この時、わたしは真理の帯が思い出され、その帯に剣のための鞘がついていることが分かりました。そして、これが全装備とどのような関連を持っているのか分かりました。

「主よ、ここに他に何か意味があるのでしょうか?」

「行動は腰から進む。前に進むことができるようにするには、腰の状態がよく準備されていなければならない。帯を締めることは、あなたたちの服をしっかり固定させることだ。そうしないと道を進めなくなる。真理の帯でさらに重要なことは、真理の剣を運搬する機能を持つということだ。真理の剣がなければ、あなたたちは霊的戦闘で最終的な勝利を得られないだろう。真理があなたたちの中にないなら、あなたたち自身は、どんなにしっかり準備されていると考えていたとしても、あなたたちはただ風に揺れる葦に過ぎない。」

「聖霊の剣。文字通り、使徒たちと預言者たちから書かれた神様の御言葉は、あなたたちが過ちを犯したり、誤りに陥ったりするのを防いでくれる。何が正しく、何が間違っているかについて、これ以上問うことはない。すでにわたしの言葉として、あなたたちに伝えられた。わたしの霊の助けによって、あなたたちは真理と誤りを分別でき、それをあなたたちの骨髄に刻み込める。正しいことと正しくないことを説明するために、十分な真理が与えられていて、非常に多くの段階と水準が真理の中に存在する。真理は常に聖書の御言葉を通して検証され、評価される。そして、あなたたちの心は、必ずわたしと正しく立っていなければならず、聖霊によって導かれなければならない。そうしないと、あなたたちは自分自身で作り出したものを真理だと考えることができ、わたしから遠ざかれる。それは、人々が見るには良く、健康そうに見えるだろう。しかし、その中に数多くの誤りが存在するだろう。」

「信仰の盾は、十字架で成し遂げられた完成されたことに対する象徴を持っている。そこからあなたたちのすべての恵みが流れ出る。それによって、あなたたち自身を保護する。あなたたちの市民権に対する信仰、あなたたちの王が誰であるかという信仰、あなたたちが指名を受けて任命された者であり、強固に立っている者であるというしるし、あなたたちのすべての行動が真理と愛から生じているということ。これらすべてが信仰の盾で表現される。」

「あなたたちの足は平和のメッセージを伝え、すべての人々のための赦しとわたしの善き心が、あなたたちの足取りを通して伝えられる。すべては信仰によって保護されなければならない。赦し、わたしの善き心、平和のメッセージ、真理、おおらかさ、あなたたちの存在、わたしの存在。これらすべては現実であり、真実だ。あまりにも真実であるために、わたしがそうであったように、あなたたちもこれらのために喜んで死ぬ覚悟で踏み出したのだ。信仰の盾を持つあなたたちは、あなたたちをわたしから切り離し、孤立させようとする敵の火の矢から保護を受ける。」

「敵は欺瞞的な戦術、偽り、半分だけ真実なものを用いて、あなたたちが偽りに陥るまで、持続的にあなたたちを捻じ曲げ、操ろうとする。あなたたちの救いに関する知識は兜によって保護されている。あなたたちの心がわたしと共に正しく立っていることによって義の胸当てを着けている。他のいかなる意見よりも真理についてあなたたちは固く誓った存在であるため、真理の帯を帯び、その帯には真理の剣を収める鞘を持っている。そして、あなたたちは平和と兄弟愛の靴を履いて歩いているのだ。もしあなたたちが靴をきちんと履いていなかったなら、あなたたちは身につけている剣によって良いことを経験するよりも、有害なことを受けることになるだろう。先に列挙した順序で身につけることが重要な意味を持つ。剣は一番最後に身につけるものである。この剣を通して敵の策略を無力化させる。あなたたちの天国の市民権を奪おうと、あらゆる間違った概念を引き起こすが、そのような敵の攻撃を無力化させる。」

ここでわたしはこの御言葉が思い出されました。

(コリントの信徒への手紙二 10章3~5節) わたしたちは肉において歩んでいますが、肉に従って戦うのではありません。わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由來する力であって要塞も破壊するに足ります。わたしたちは理屈を打ち破り、 神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ、

イエス様は続けておっしゃいました。「あなたたちがわたしの言葉を語るとき、わたしが御言葉で世を創造し存在させたように、あなたたちも実体化された存在を創造し、生み出す者として言葉を語ることになるのだ。あなたたちのこの強力な武器は、空中の武器を打ち砕き、悪魔の築き上げたものを粉砕し、あなたたちに立ち向かうものを無力にするのだ。」

(ヘブライ人への手紙 4章12節) というのは、神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです。

「あなたたちはパウロが直面したことを想像できるだろう。真理に立ち向かうことに、あまりにも熱心だった一人の人間、パウロ。彼は、自分が真理ではないと考えるものに陥った人々を捕らえて殺すことを喜ぶほど、熱心だったのだ。彼が真理を知るようになったとき、彼は以前真理だと思っていたものの敵となった。彼の中にある真理はあまりにも強固で、その真理のために自分の命を捧げた。さらに彼は、ファリサイ派の人の教えを否定し、ローマ人の宗教的な基準を完全に打ち壊すことに偉大なことを成し遂げた。彼は当局の敵であり、ユダヤの伝統の敵であり、一見するとモーセの律法の敵だった。」

「彼はわたしと共に世に立ち向かった。彼は以前から確固として確立されたものに立ち向かい、対抗するために、自分自身をどのように準備させ、武装すべきかを知っていた。(コリントの信徒への手紙一 14章18節) 『わたしは、あなたがたのだれよりも多くの異言を語れることを、神に感謝します。』聖霊で自分自身を満たし、答えが必要なときには、主がくださるだろうという知識を持って、当局者の前に出る準備ができていた。」

(マルコによる福音書 13章11節) 引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと取り越し苦勞をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。実は、話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。

「霊的な戦いに対する備えにおいて、彼は血と肉による戦闘に臨むローマ軍の百人隊長の備えよりも、はるかに良く準備ができていた。霊的に彼が受けた誘惑と闇の勢力からの攻撃は、彼が肉体で苦しんだことよりも、はるかにひどかったのだ。」

「だから彼はあなたたちのため、このような教えを残したのだ。戦闘において経験豊富なベテランが、福音を伝播するのに使用したのと同じ武器を、あなたたちに残したのだ。」

「そうだ、私の愛する者たちよ、この教えに従って生きてほしい。あなたたちもあらゆる敵を打ち破るだろうし、わたしがあなたたちを迎えに行くその日まで、正しく立っているだろう。完全に武装し、完全に生きていて、偽りの霊たちの猛攻撃に完全に備えていてほしい。これらの悪魔は、あなたたちの手によって完全に不名誉な存在として終わるだろう。彼らは十分にそうなる資格があるのだ。」

「わたしはあなたたちと共にいる。この神様の武具を身につけ、あなたたちが守り生きている真理を保護し、信頼の中で進んでほしい。」