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521. 霊的戦い12、全ての聖徒に向けた中傷と呪いの攻撃

霊的戦い12、全ての聖徒に向けた中傷と呪いの攻撃

2016年10月21日

主の懐におられる尊い皆さん、今日は、霊的戦いについての新しい教えのようです。主は、私たちが経験した敵の攻撃について、まず分かち合うことを望んでおられます。

この教訓は本当に深く、私たちの心に刺さります。私たち皆が、敵が放つ全ての攻撃に対し、打ち勝つ権威で完全に武装されますよう、お祈りいたします、アーメン。

私は最近、いつもと違って少し神経質になっています。なぜなら、自然に私に起こる出来事が、皆さんにお仕えする働きから私を遠ざけ、それによって私は怒ることが多くなったからです。たとえ私の怒りの内容が正当であったとしても、怒ることは正しくありません。私にそのようなことが起こるようにした人に対し、私は判断しているのですし、私も過去に同じ過ちを他の人に犯したということに気づきます。

主は、私たちが忍耐し、兄弟愛をもって反応することを依然として求めておられます。今置かれている状況が、混乱し、自分に立ち向かい、無秩序をもたらす状況であったとしてもです。このような状況で忍耐し、兄弟愛をもって接することは、決して時間を愚かに使うことではありません。私たちは絶え間ない戦場の真ん中にいて、私は攻撃に対してどのように反応すべきかを学んでいます。

私の話を分かち合います。

私たちへの攻撃がますます激しくなっているという事実を、皆さんに申し上げたいです。主もこの事実について、私たちに注意を与えておられます。解決策は、この嵐が過ぎ去るのを待ったり、もう少し良い日が来るのを待ったりすることではありません。決してそれが解決策ではありません。解決策は、私たちが外部的な勢力に対し、踏みにじる権威を持って行使することです。悪魔的な否定的な感情と判断の種が私たちの心の中に蒔かれ、根付かないように、私たちの権威を行使することです。

聖徒に呪いは臨まないと、一部の人は考えています。ええと、私たちの経験はそうではありません。私たちは、呪いが聖徒に臨むのを見ています。もし私が徳と正しさの中を歩まず、寛容な心と忍耐する心がなければ、私は肉に従って反応してしまうようです。

私には2種類の例があります。一つは、このチャンネルのための私の集中力と時間に向けられた攻撃です。私たちは毎日この呪いの攻撃を受けており、ある時は一日に何度も受けます。私の考えでは、これらの呪いは空中に立ち込めているようで、私が徳を欠く時に、それらが私を攻撃するのを許しているようです。兄弟愛の心が不足し、怒りと憤りの霊が私に入り、否定的な感情と判断の苦い種が私の魂のぶどう畑に蒔かれることが許されます。そして、その種は非常に素早く私の心の中で根を下ろします。

原理はこうです。もし皆さんが怒りや妬みに関する呪いの攻撃を受けるなら、皆さんが怒りや妬みを抱かない時に、この呪いの攻撃から安全です。逆に、怒りや妬みを抱くなら、その呪いは皆さんの心の中に臨みます。

私はこの二つの否定的な感情に気づき、これについて悔い改めました。しかし、これは既に遅い状態でした。その悔い改めが一日後であったからです。その間に、否定的な感情と判断の苦い種は既に私の心の中で根を下ろしていました。

もし皆さんが怒りや嫉妬心、あるいは正しくない肉に属する感情を感じたその瞬間、直ちに悔い改め、主よ、その呪いを取り除いてくださいと切に願わないならば、手遅れなのです。そうして一日が過ぎてしまうなら、それはもう遅すぎます。この呪いを取り除くために、皆さんは特別な祈りを捧げる必要があるでしょう。

私も以前、このようなことを多く経験し、その中で、主が私を手術台の上に置き、手術をなさることを多く経験しました。その時、私はこれが何を意味するのか知りませんでした。しかし、今は知るようになったようです。

呪いが来た時に怒るなら、その呪いが私の中に臨みます。私は判断と憤りと我慢できない気持ちと挫折と、否定的な感情と判断の悪魔によって汚されます。そうして種は根を下ろします。汚れた霊が大規模に流入できるよう、門が開かれます。私はこのようなものから解放されましたが、依然として射撃場の的のようになっていると感じます。この感覚は本当に良くありません。私が今経験したことは、私たち皆が経験することになる、より困難なことを前もって味わったようです。主は私たち皆に、これから状況はますます荒れていくでしょうとおっしゃいました。

呪いに門を開かせてしまう最大の原因は、依然として徳の不足、特に愛と憐れみと謙遜の不足です。

私は皆さん皆を本当に愛しています。そして、私の心は毎日、皆さんに命のパンを供給したいと願っています。しかし、私がこのような感情的な攻撃を受け、心が散漫になり、細かく分断される状況に置かれると、私は速度が落ち、完全に仕事を遂行できなくなります。しかし、主に感謝なのは、このようなことを経験しながらも、この中で得た教訓を通じて、敵の悪い攻撃を打ち砕くために使用できるということです。敵は私たちに良いものを提供することになります。彼が私たちを教えていることになるのですから。

もし皆さんが誤った感情、すなわち肉に属する感情を感じるなら、その時すぐにそれらを追い出し、主よ、お許しくださいと願い、その呪いが取り除かれるよう祈る必要があります。その呪いが開いた門を閉じ、その門を通して入ってきた悪魔を排除し、その悪魔が蒔いた種を取り除いてください。そして、そのような状況に関係する人、すなわち皆さんを怒らせた人のために祈らなければなりません。

真に、最善の方法は、直ちにひざまずき、悔い改めの祈りをすることです。個人的な秘密の場所を見つけて、聖霊を求め、この汚れたものが取り除かれるよう祈り、聖霊が善いことをなさると信じ、信頼することが、最善の方法です。そして、異言で祈ります。主は私たちの中に生きておられます。その方が皆さんを愛しておられます。その方は皆さんがこの毒を持ち歩くことを望んでおられません。その方は私たちを助けてくださるでしょう。レーマの御言葉を通して、主の御心を確かめ、堅く立ちましょう。

もし皆さんがカトリック教徒であれば、個人的な聖餐を父なる神様にささげ、これらの呪いが打ち砕かれるよう求め、皆さんの家族に臨んだ呪いを打ち砕くための祈りの言葉に従って祈るのが良いでしょう。これは非常に強力であり、父なる神様の心を動かして、皆さんを助けるでしょう。

依然として罪を犯し続ける人がいる場合、その人を呪いから救い出すのが難しい状況があります。もし彼らが悔い改めず罪を犯すことを止めないなら、皆さんもその人を呪いから救い出したくないでしょう。なぜなら、彼らが次に再び罪を犯すとき、悪魔たちはすぐに戻ってくるよう招かれ、そのとき、より多くの悪魔を連れてくるからです。聖書の御言葉にあるように、癒される以前よりも、後で魂の状態がさらに深刻になります。

(マタイによる福音書 12章43~45節) 汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て來たわが家に戻ろう』と言う。戻ってみると、空き家になっており、掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を一緒に連れて來て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。この悪い時代の者たちもそのようになろう。

「この悪い時代の者たちもそのようになろう」と、主がおっしゃったことに注目しましょう。しかし、悔い改める魂に対しては、この御言葉は適用されません。彼らは自由にされるでしょうし、聖霊に満たされるでしょう。悪いものは何一つ戻ってくることはないでしょう。

私たちは徳において完全ではないかもしれません。しかし、私たちの心が完全な徳に固定されているなら、そして、私たちが主に自分を完全にささげ、徳のある姿になることを心から願うなら、それが主が私たちと共に美しいことをなさることができるよう、数多くの裁量権を主に提供することになります。

私たちが呪いに向かって扉を開くのは、私たちが罪を犯すときです。2年前、私はYouTubeチャンネルを始めてから、徳について分かち合いました。このテーマについては再生数が多くなく、その代わりに携挙に関するものは再生数が多いです。これをお伝えしたいです。皆さんに徳がないなら、皆さんは携挙されうるとお考えでしょうか?それにもかかわらず、誰も自分の人生を変えるためのことには耳を傾けようとしません。

愛する皆さん、皆さんが聖霊様と共に皆さんの人生を清めることをしないなら、非常に悲惨な状況になるでしょう。皆さんは悪魔たちに絶えず虐げられることになり、皆さんと皆さんの家庭は、彼らの呪いを退けることのできない、完全に絶望的な状況に置かれることになるでしょう。

悪は増大しています。邪悪な魔術が増大しています。悪魔たちは増大していて、この地の隅々に配置されています。皆さんの唯一の保護は、イエス・キリストの尊い血潮の下で徳のある生き方をすることです。イエス・キリストの尊い血潮は、単なる祈りの文句やキャンペーンの文句ではありません。尊い血潮の下で、魂は清い状態であり、清められた状態です。すなわち、悔い改める魂が、主が十字架で払われた献げ物によって回復されるのです。

主は皆さんが清くなることを望んでおられます。そして、私たちが聖霊の賜物の中で行なうことを望んでおられます。主は皆さんを用いて、他の人々を解放してくださることを望んでおられます。そのためには、まず皆さんがその方の愛に満ちたまなざしを見つめながら進み、そこで皆さんの罪や罪深い態度を清めなければなりません。

もし皆さんが牧会や働きをしているなら、その影響力がどれほど遠くまで及ぶかによって、皆さんは毎日、皆さんに向けて送られる呪いに直面することになるでしょう。

「主よ、この時点で何かおっしゃるべき御言葉がありますか?」

「わたしの愛する民よ、あなたたちはもはや頭を砂の中に埋めて、呪いがあなたたちに近づくことはないと考えながら生きることはできない。これは嘘だ。あなたたちがこの嘘に惑わされるなら、あなたたちは本当に大きな過ちを犯しているのだ。この地を覆い、ますます多くの数で覆い尽くしている悪の猛攻撃に立ち向かうために、わたしは今、あなたたちを武装させている。もしあなたたちが、あなたたち自身とあなたたちの家族を守る方法を知らないなら、あなたたちは経験しなくてもよい苦難を経験することになるだろう。簡単なことだ。怠惰。あなたたちの愛する人々を守らない怠惰の罪なのだ。」

「悪魔たちに打ち勝つことのできる道具を、あなたたちに与えている。本当に与えている。しかし、クレアが何度も言ったように、徳のある生き方と包容力のある生き方が、あなたたちの最善の防御武器なのだ。わたしが徳について話すとき、この徳はわたしとの関係を意味する。あなたたちがわたしのところに近づいて祈るなら、あなたたちはわたしの答えを聞く。そして、あなたたちはわたしに従順する。これがわたしとの関係なのだ。」

「誰一人として罪のない者はいない。常に船には、気づかないほどの小さな穴がある。常にそこから水が染み込む隙間が存在する。これがすべての人間にとって毎日起こることなのだ。」

「この地の文化は、わたしにとっては罪深いものであっても、人々に当然のことと見なされているものが多くある。例えば、水着はわたしを苦しめる。水着は、情欲と性的な不潔さを刺激するからだ。もしあなたたちがわたしに近づかず、わたしの声に細心の注意を払って耳を傾けなければ、あなたたちはそのような水着を着ることで、多くの人々に罪を犯させるだろう。そして、これが扉を開くこととなる。あなたたちが霊的に非常に敏感でなければ、このような事実を悟ることはできないだろう。あなたたちの目が盲目のままでいることなく、目を開いて真理を見ようとする自ら進んでの心を持たなければ、このような事実を悟ることはできないだろう。」

ここで、わたしは主に申し上げました。「主よ、Katherine Kuhlmanも水着を着ていましたのに、その姿にわたしはとても困惑しました。」

「彼女もそれによって困難を経験した。しかし、わたしにとって本当に忌まわしい不潔さは、誹謗、陰口、悪意に満ちた言葉だ。このようなものが、純真な多くの人々に傷をつけ、損害を与える。一つの小さな否定的な言葉も、他の人を傷つけ、友情の発展を妨げる。」

「わたしは悪意ある言葉が嫌いだ。人を傷つけ、攻撃するすべてのものを列挙することよりも、もっと重要なことがある。わたしの尊いあなたたちに、望むことがある。聖霊の考えに耳を傾けてほしい。非常に注意深く、細心の注意を払って耳を傾けてほしい。あなたたちが罪を犯そうとするとき、彼はあなたたちに警告を与えるだろう。もしあなたたちがこのようにするならば、あなたたちの人生はより穏やかで、祝福があるだろう。自分の魂を顧みることに興味がない周りの人々よりも、確実にさらにそうだろう。」

「もう一つ言及することがある。このメッセージを聞いているあなたたちの中には、わたしを感じたり、わたしがあなたたちに、あるライフスタイルを放棄するよう、不正な態度をやめるよう、わたしの器を通して伝えられるわたしの声を軽蔑したり、無視したりするのをやめるよう言っていると感じる者たちがいる。そのようなあなたたちに、わたしは言う。なぜあなたたちががんで倒れるのか、わたしに尋ねてくれるな。なぜあなたたちの家庭にこれほど多くの悲しみがあるのか、わたしに尋ねてくれるな。例えば、離婚のことなど。なぜあなたたちが財政的な圧迫を受けているのか、なぜあなたたちが、配偶者や子供たちと争っているのか、わたしに尋ねるな。」

「わたしはすべての慈悲をもって、このように言う。あなたたちはわたしの言葉と声を聞いた。あなたたちは、魂の奥底で、ある種の罪悪感のようなものを感じた。あなたたちに懇願するわたしの声とわたしの警告に、あなたたちは耳を傾けなかった。わたしの尊い者たちよ、わたしがあなたたちにがんを与えたのではない。わたしがあなたたちを離婚させたのではない。わたしがこのようなことをあなたたちにしたのではない。扉が開いていたために、このようなことが起こるのだ。否定的な感情と判断の苦い種と根、そして許さない心が、その原因だ。これらが、がんの主要な入り口なのだ。」

「あなたたちがわたしの警告を無視し、嘲笑しておいて、なぜこのような苦痛について苦しんでいるのだ?原因と結果があることを、あなたたちは知らないのか?あなたたちの人生には、わたしを喜ばせないものが存在し、あなたたちはそのようなものを変えようとする気持ちがない。あなたたちは、わたしが与える言葉にも耳を傾けず、真剣に受け入れもしない。それは、あなたたちがこの言葉が本当にわたしから来るものであるという事実を疑ったり、ただ聞き流したりするからではない。本当の理由は、真剣な黙想とわたしの声をより近くで聞くことが、あなたたちの本当の問題を明らかにするからだ。非常に簡単な問題はこれだ。あなたたちは罪を愛している。そして誰も、あなたたちに何かをするように言うことを望まない。あなたたちはただ、変わりたくないのだ。これが、あなたたちのすべての苦痛の本当の原因だ。」

「しかし、わたしは依然としてあなたたちに、愛しい父として近づいて言う。どうか、恐れるな。わたしが助けるだろう。あなたたちがすべきすべてのことは、祈ることだ。『主よ、わたしは喜んでこのような罪深いものを捨てたいという気持ちはありません。しかし、わたしが自ら進んでの心持ちになりたいです。わたしの告白と決心を、あなたの手に捧げます。』そして、何が起こるか見守ってほしい。わたしがあなたたちの心を変えるだろう。」

「あなたたちの中には、わたしを信頼したり、わたしに祈ったりする者たちがいる。しかし、わたしと実際的な関係を持つことができていない。そのようなあなたたちは、わたしの意見を求めていない。あなたたちの問題について、わたしの答えを探さない。そして、そのようなあなたたちをわたしが保護するだろうと推測しながら生きていく。その心の中には、喜んで変わろうとする気持ちを持たないまま、生きていく。ある状況では一時的に、あなたたちの推測どおりにわたしの保護があるだろう。しかし、永遠ではない。そのようなあなたたちに、わたしは言う。悲しみが迫り、困難なことが迫り、悲劇が迫っている。」

「あなたたちが牧者の導きを受ける羊の囲いの安全な場所から遠ざかり、さまようほどに、狼たちが密かにあなたたちに、より一層近づき、ついにあなたたちは飲み込まれるだろう。」

「わたしはあなたたちを呪っているのではない。わたしはあなたたちを祝福する!しかし、あなたたちがこの祝福を持って、あなたたちが望む道を行く。そしてその祝福は盗まれ、あなたたちの人生は悪いものからさらに悪いものへと変わる。」

「理解できないのか?これは100%あなたたちの過ちだ。なぜなら、あなたたちがわたしの保護の下に入ってくることを拒絶するからだ。わたしが善であるという事実と、あなたたちに悪いものを何一つ与えない存在であるという事実、この事実に対する信仰と信頼をあなたたちが捨てるからだ。」

「あなたたちは自由意志を持っており、選択をしている。『主よ、わたしを助けてください』とわたしに叫び求めるとき、わたしは常にそこにいるだろうし、わたしもあなたたちと共に苦しむだろう。しかし、あなたたちはわたしの応答を聞かなければならず、それに基づいて行動しなければならない。従順でなければならない。そうすれば、良いことが展開するだろう。」

「わたしのもとへ来ることを恐れるな。あなたたちの弱さや罪悪、愚かさや高慢さ、そして、なぜあなたたちが困難な目に遭うのかについての無知を認めながら、わたしのもとへ来ることを恐れるな。恐れるな。わたしはあなたたちを咎めない。咎める代わりに、わたしの腕であなたたちを優しく抱きしめるだろうし、あなたたちにこう尋ねるだろう。『もうわたしを信頼する準備ができたか?』そしてあなたたちが『はい』と答えるなら、あなたたちの人生は好転し始めるだろう。」

「私の子供たちよ、わたしを信頼するか?本当にわたしを信頼するか?あなたの人生をわたしの手に委ねるか?それとも、また次の危機が訪れるまで、あなたたちが望む道を行くか?」

「あなたたちが何を選ぼうとも、わたしは決してあなたたちを捨てない。あなたたちがわたしを捜すなら、いつでもわたしは答えるだろう。どうか、どうか、これらの言葉を深く考え、わたしの嘆願に答えてほしい。ああ、どうか、わたしのもとへ来てほしい。あなたたちがわたしを心から信頼するその日を、わたしは切に待っている。」