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539. 怒りの霊

怒りの霊

2026年1月10日

「主よ、今日私が始めたことに何が起きたのか分かりません。」

「クレア、気にしなくていい。私たちがやり直せばよいのだ。」

「取るに足らない私と一緒であれば、主がはるかによく行なえることを知っています。」

「放射能が深刻なのは既成事実だ。あなたがそのクッキーを食べることを知っていたし、それがあなたの血糖値を高めるだろう。放射能の数値が測定範囲をはるかに超えている。」

ところで皆さん、頭が痛かったり、方向感覚がなかったり、吐き気や重圧感が感じられる時、アルミホイルの一片の上に野球帽をかぶれば、それを止められるかもしれません。太陽から来る放射能は非常に強くて、皆さんを病気にさせることがあります。

「主よ、どうか、それを扱う方法があるはずです。権能は主の手の中にあります。」

「しかし、そうすればあなたは、今この地上のすべての者たちが経験している、苦しみに加わることができなくなるだろう。」

「イエス様、主は私たちが弱い時に主が強いと言われました。」

「私がそう言った。」

「それならば、このような大気状況に立ち向かい、私たちをより強くしてくださることはできませんか?」

「愛する者よ、あなたの身体的限界を超えていこう。私が今日持ち出した主題は本当に重要だ。それに集中すれば、他のものあなたを治める力が減るだろう。」

愛する家族の皆さん、私は大切で幼い一人の赤ちゃんが経験しなければならなかったそのすべての苦しみについて、本当に理性を失ってしまいました。私の人生でそれほど怒ったことはなかったようです。私たちがイゼベルの息子たちに対抗して70日間行なってきた祈りは、ついに殺人、すなわち怒りと同一視されうる殺人の霊に関するものでした。聖書は、殺人が単に武器から始まるのではなく、心の中の憎しみと怒り、そして非人間的な言葉から始まると教えています。すなわち、コントロールされていない怒りは、物理的暴力の霊的前兆となります。神様の基準は単に規則を守ることではなく、葛藤や憤りよりも和解と愛を強調し、心と動機の純粋さをご覧になります。

マタイによる福音書5章21節から24節には、このように記録されています。「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って來て、供え物を献げなさい。」

この場合、私がどの医師や特定の人物を念頭に置いたわけではありませんでしたが、そのシステムに対してそれほど怒ったことは、依然として私の過ちでした。病院がただこの幼い赤ちゃんをますます多くの手術の中へと引きずり込むために、存在もしなかったかもしれない何かを探し、言い訳を探しているように見える状況であったとしても、たとえ彼らが全面的に有罪だとしても、憤りは神様の正しさや平安や兄弟愛を成し遂げません。イエス様は、ご自身を不当に殺そうとする者たちを罰する能力を行使なさいませんでした。むしろ、「父よ、彼らを赦してください。自分たちが何をしているのか分かっていないのです」とおっしゃいました。

私の夫エゼキエルは祈りを行なっていた中、何か大きく間違っているという感じを受け、それは単に赤ちゃんの状況だけではありませんでした。私の怒りがどれほど深いか悟った時、私は殺人や憤りが深刻な罪であるという聖書の教えを見ることができました。私が聖書の約束で確認したレーマの御言葉を通じて、これが私に対する御言葉なのか主にお尋ねした時、聖霊様に関する箇所が広がりました。なんてことでしょう!それで私は「ああ主よ、愛に失敗して本当に申し訳ありません」と悔い改めをしてきました。私がそれほど激怒した時、それがとても間違っているように感じられましたが、私が行なえることは祈り、この強烈な感情を悔い改めるために最善を尽くすことだけでした。

その悔い改めの瞬間に、イエス様の細い声が聞こえました。「すべてのことが明らかにならなければならない。私の花嫁はそのような反応を持っていては、天国に入ることができないからだ。」